名古屋の六年─名古屋大学医学部学生時代─
名大卒業後すぐ北海道に渡ったため、名古屋の思い出は六年間の学生生活だけですが、今なお懐かしく思い出されます。前回の四十周年記念誌での思い出とオーバーラップするところもありますが、改めて下宿時代を共に過ごしたポリクリ仲間らを中心に、わが交友録を書き綴ってみました。
名大教養部に入学したとき、大学から新婚夫婦の住む新築二階建ての家を紹介され、人生初の下宿生活を始めました。何しろ、何も知らない田舎者でしたから失敗の連続でした。
下宿して間もなく新婚の若奥さんから次々と苦情が出されたのです。
二階の階段の壁には「階段は静かに歩きましょう」、トイレには「横に飛ばさないようにしましょう」という注意書きが貼り出されました。「夜遅く大声で歌うのはやめましょう」という苦言もありました。ただ、同居する姑さんは私に対してえらく同情的でいろいろやさしくしてくれました。
この下宿先に一緒に入居したのが同じポリクリグループのK君でした。K君は、九州男児の豪放さを発揮し、小言を言われても平然としていました。
門限を過ぎて鍵がかかり部屋に入れなくなると、塀伝いに屋根に上がり二階の自室に戻っていました。私が彼から最初に学んだのは、読書に対する姿勢でした。私が寝ころんで戦記物などを読んでいると、彼はステテコ姿で鉢巻をし、小っちゃなちゃぶ台に向かって正座し、「ジャン・クリストフ」を読んでいました。
これを契機に私も文学作品に目を向けるようになったものです。
K君の行動は、驚きの連続でした。初夏になると布団を担いで質屋に向かうので訳を聞くと、質屋にあずけた方が布団は清潔に保てるし、金も手に入ると言うのです。彼が布団を担ぎ出すと「あー、もう夏か」と思ったものです。一緒に銭湯に行くと彼は数分で上がり、強迫的に数十分もかけて体を洗う癖がついている私を待ちあぐねていました。
そんなとき彼は、「もっと洗いたい、洗いたい」という気持ちのまま、エイッと気合いを入れて風呂から上がれという強迫神経症における行動療法の原則を教えてくれたものです。