子どもの喘息治療

外来のない日は講演会、大学での講義、県教育委員の仕事、各種委員会の業務などに追われた。

学会活動にも力を入れた。小児心身医学会では毎年心理士らと共に演題を発表し、時にはナースにも学会発表のチャンスを与えた。クリニックを留守にするため、入院患者の当番をオンコールという形で親しい医師仲間に依頼して出かけた。北海道での学会から夜遅く帰った矢先に、呼吸停止を起こされ、慌てたこともあった。重篤な喘息発作で呼吸停止をきたし、大病院に救急搬送したケースもあった。

その中で一例だけ悲しいケースがある。七歳の男の子が土曜日の昼前、外来終了直前に咳が止まらないということで祖父と共に来院した。カラ咳だけで元気そうで、喘息を疑わせる所見もなく、胸部レントゲン写真でも異常を認めなかった。

祖父によると、ここ数日、夜間の咳が止まらないということで入院を希望した。土曜日の外来終了前だったこと、当時は緊急病院への紹介システムもまだ確立してなかったことから、経過を見るつもりで入院させた。

ところが、入院当日の深夜に異変が起きた。夜になってから急に咳込みがひどくなり、吸入や服薬でもよくならない。深夜になって更に悪化し、咳と共に血を吐き出し、のどを押さえて苦しみ始めた。すぐさま救急搬送を決意、消防署へ電話し県立中部病院への搬送を依頼した。

救急車に私とナースが乗り込み、酸素マスクを当てながら出発したが、途中本人が苦しみのあまりマスクを手で払いのけたため、マスクの備品が吹っ飛んでしまった。同時に救急車の酸素も切れてしまった。私は慌てて口から口への呼吸法で急場をしのいだ。

県立中部病院ではスタッフらが玄関に待ち構えてくれた。私は口から口への呼吸法で口まわりを血で真っ赤に染めながら申し送りをした。

入院三日後、この子は帰らぬ人となった。原因は、縦隔悪性リンパ腫という極めて珍しい悪性のがんだった。今なお忘れられないケースである。

閉院に至るまでの二十三年間で呼吸停止に近いケースを七例経験したが、そのほかのケースは無事に乗り越えることができた。