厳しい経営状況の中、頼りになったのは隣地に調剤薬局を開設した薬剤師の松田進だった。松田とは県立南部病院時代に出会い、クリニックの事務長代理として無償で協力を申し出てくれた。業者との金銭面の交渉、建築に関する地元との交渉、銀行との交渉、職員間のトラブルなど一切の面倒を引き受けてくれた。松田の最初の仕事は、建築に際して地鎮祭を取りしきることだった。
理由は私が冒険仲間とサハラ砂漠の旅に出る手はずになっていたからだった。当初、旅は、勤務していた県立南部病院を早期に退職し、年休消化の形で三週間の旅行計画を立てていたが、年休の活用が不可能となったことから、予定が大幅にずれ込んだのである。
出発を前に、設計士の永山盛孝氏(団設計工房社長)は顔を曇らせ、妻はあきれ、母親は「またか」と嘆いたが、いったん開業すると冒険旅行はできないものと考えて、松田に決意を伝え、地鎮祭の仕切りと不在中の業務の引き継ぎを依頼し、出発した。
クリニックは当初外来・入院の両体制で挑み、ナース、事務職、心理士、給食、掃除婦など総勢十九名の大所帯であった。拙著『子どもたちのカルテ』の宣伝効果もあって、子どもの心身医療に興味のある人材が次々集まった。採用面接も松田と二人で行い、採用、不採用の通知ももっぱら松田が受け持った。
面接を繰り返すうちに、いい人材を見つける方策を編み出した。
面接は先入観を排し、事前に顔を合わせず初対面の第一印象を重視した。面接終了後、応募者を外来の事務スタッフらに紹介し、「希望や疑問があったら、スタッフに何でも聞いてください」と応募者に伝えた。そのあと、事務スタッフから応募者の質疑内容を聞き出し、応募者の本音をさぐり適性を判断した。
ある応募者は初対面の面接ではすこぶるよくOKと判断したが、事務スタッフから、屋上の駐車場で赤いスポーツカーに乗った派手な格好の彼氏が車内で寝タバコをしているとの情報を耳にして取り消しにしたケースがあった。言っていることよりやっていること、無意識的な言動から本音を読みとる私の心理療法「サイン読み取り法」を活用したものだった。