破ってはならない掟
渡り廊下をカートが行き交う振動。コンピューター画面に広げられたカルテ。滅菌アルコールの匂い。
胸元に准教授の名札をぶらさげたわたしは、大学病院の面談室にいた。
ここは東七階の血液内科病棟の一角で、机上には治療法と生存曲線の書かれた資料が広げられている。
「このたびはお越しいただき、誠に感謝しております」
わたしはふたまわりも若い夫婦に、白髪染めしたばかりの頭を下げた。今日は長年担当している立花裕子さんと夫の稔(みのる)さんを交え、治療方針を決定する日になっていた。
「まさかこんな大雪に見舞われるとは。寒さが堪(こた)えたでしょう」
「そうですね。だけど病院のなかは暑いくらい」
頬を扇(あお)ぐ裕子さんの細い左腕からは透明な管が伸び、点滴が静かに規則正しく滴下している。穏やかな様子で丸椅子に腰かける彼女とは異なり、稔さんはどこか緊張した面持ちだった。彼の膝のうえにはノルディック柄のセーターを着た息子の礼央くんがいて、居心地悪そうにむすっとしている。
「さて、本題に入りましょう」
わたしはゆったりとした口調を心がけながら、カルテに記された内容を丁寧に確認していく。カルテに刻まれた病名は、成人T細胞性白血病リンパ腫。通称、ATLL。
この病気は白血病・リンパ腫の一種であり、HTLV-1というウイルスが原因で発症する。ウイルスが感染してもすぐに症状を呈することはなく、数十年という長い年月を掛けて、免疫応答の司令塔であるヘルパーT細胞に遺伝子変異を引き起こす。やがて正常な機能を果たせなくなった、核が花びら状のT細胞、通称フラワーセルに代表されるATL細胞が無秩序に増殖していく。
その結果、ATL細胞が正常な臓器に浸潤する多臓器不全や免疫力低下による感染症により、死に至る。裕子さんは七年程前に礼央くんを妊娠した際、HTLV-1抗体陽性が判明し、わたしの外来を予約受診した。
精査の結果、HTLV-1に感染していること以外に異常は認めなかった。HTLV-1に感染していても5%程度の人しか発症しないこと、また特異的な抗ウイルス薬も存在しないこともあり、カウンセリングのみで経過を診ていた。
だが月日が流れ、子供と旦那を元気に送りだす充実した専業主婦の毎日を謳歌していたある日、風邪のような症状と共に右腕に紅斑が出現した。これはもしかして、あの病気では。
裕子さんは主治医であったわたしの外来を予約外受診した。そして血液検査で今まで認めなかったはずの白血球数の異常増加が確認された。
「前回説明した通り、この病気はいちど発症してしまうと非常に厄介です。完治を目指す治療は、残念ながら、多くありません」
行える治療は、ATL細胞を叩く化学療法が中心となる。そのなかで最も強力な治療である骨髄移植を、わたしは推奨していた。通常の化学療法では完治は難しく、骨髄移植の方が完治する可能性が高いと論文で報告されていたからだ。しかしながら移植により、最悪の場合、命を落としてしまうこともありえる。
裕子さんの若さを思えば、完治する見込みが高い方法を選択すべきだとわたしは考えた。
「治療は骨髄移植の予定ですが、よろしいですか」
裕子さんは逡巡(しゅんじゅん)するように稔さんを見つめた。稔さんは裕子さんの膝に置かれた手をぎゅっと握りしめた。裕子さんがわたしをゆっくりと見据える。栗色のあわい瞳だ。
「私、怖いけれど、頑張ります。苦しむ母をそばで見てきましたから、やるなら徹底的にやらなければいけないことは、分かっているつもりです」
その声は泣いているようでもあった。このウイルスの感染経路はいくつかあり、主に性行為や母乳で感染が成立しえる。彼女の場合、母親からHTLV-1を受け継いでしまった可能性が高い。
つまりこの病気は、裕子さんだけの問題ではないのだ。彼女を取り巻く両親や稔さん、そして礼央くんを巻き込んだ家族の問題でもある。
「ねえ、おかあさん。帰ろう」
わたしたちの重苦しい雰囲気に耐え切れなくなったのだろう、礼央くんが裕子さんのガウンを引っ張った。小学校一年生には酷な話だ。わたしが渡した青い車のおもちゃにも飽きたようで、赤い唇をいちごのように尖らしている。裕子さんが礼央くんを自分の膝に乗せた。