まずは匿名でのやりとりです。その中で私が気を付けていたことは、私自身の情報をなるべく多く開示することです。なぜなら、売り手側の気持ちを考えると会社を売りに出していることを社長はなるべく広めたくないのは当然で、売り手側としては実名交渉=契約が一番望ましい流れだと思ったからです。
そのため私は実名交渉に至るまでにこちらの情報はなるべく多く開示し、いざ実名交渉になった際に気持ちよく契約成立に至るように心がけました。
「ご返信ありがとうございます。私は今会社員で飲食業のマネージャーをしております。現在、過去ともに英会話教室の経験はありません。よろしくお願いいたします」
その後もやりとりを続けます。
経営状態は良くないということ。
そのほとんどが人件費だということ。
もともとは廃業しようと思っていたこと。
そのため継承するなら早めにしたいということ。
集客にはまだまだ時間がかかりそうなこと。
確実に利益を出すに至るのは未知数だということ。
最後に、「私もご迷惑がかかることはしたくありませんので熟考してご検討いただきたい」という一文が添えられていました。
熟考と言われましたが、私の気持ちに迷いはありませんでした。現職のことも考えたうえで新しい場所を求めての決断です。決めたからには徹底的に行うことを決意していました。返信の感触としてはあまり良くない感じでしたので少し心配でしたが、ダメならダメで貴重な経験を積めたと考えよう、と切り替えられる頭にもなっていました。
なぜここまで割り切れていたかというと、話題の本を次々と手がける編集者、箕輪厚介さんの著書『死ぬこと以外かすり傷』(マガジンハウス・2018年刊)を読んだ直後だったからです。
同書の冒頭に出てくる「守るより攻めろ。その方がきっと楽しい。こっちの世界に来て革命を起こそう」という言葉が背中を押してくれていました。自分が作りたい学びは「失敗を大いに認める」教育です。それを謳おうとしている私が、一つや二つの失敗を恐れて何もしなければ本末転倒です。
倒れるなら前向きにいこうと決めていました。また、私はこの一連の流れを誰にも話しませんでした。誰かに言うと、できない理由を並べられる気がしてならなかったからです。これは誰が悪いわけでもなく、そのように捉えられる可能性が高いと思ったからです。私は結果がすべてだと考え、全部が終わったら周囲には言おうと決めていました。
ビリギャルの著者、坪田信貴先生の著書『才能の正体』(幻冬舎・2018年刊)では「結果は才能の有無で決まる」のではなく、「才能が結果によって決まる」のだとおっしゃっています。
例えば、東大に行けた人はどんな人であっても「元がいい」「地アタマがいい」と言われ、どんなに頑張っても東大に行けなかった人は「もともとアタマが良くなかった」と言われます。たとえそれが同じ人間でもです。
つまり、人は結果しか見ておらず、結果からしか判断できないのです。私の場合、元は良くないので「できっこない」のオンパレードが来ることなど容易に予想がつきました。不必要に不安になる言葉は聞きたくはなかったので、誰にも言わずにこの件を進めることにしました。