生きることへの執念
転院して2日目だったろうか。
就寝前の薬も飲み、車椅子からベッドに移り、眠りにつこうとしていた。就寝時間前から眠っている患者さんもいらっしゃったようだが、私は布団の中でぼんやりと考え事をしていた。
その時、急にけたたましい音の非常ベルが鳴り、その音とは対照的に機械による冷静な声のアナウンスが流れてきた。
「5階で火災が発生しました。直ちに避難してください」
『え? どうやって?』
再度、同じアナウンスが流れる。
「5階で火災が発生しました。直ちに避難してください」
私は7階に入院していた。
しかも転院2日目、倒れて2週間程。右半身は全く動かない状態だったので、パニックを起こしていてもおかしくない。
しかし、なぜか私は冷静だった。
私は人一倍嗅覚が鋭いので、火事が起これば何らかの匂いを感じるはずだが、今の所は何も感じない。ただ、「避難してください」という機械のアナウンスを疑う根拠も持ち合わせてはいなかった。
『ここに来て火事……倒れても、せっかく助かったのになあ』
『避難っていっても、どうする? 匍匐(ほふく)前進しかないな』
『火事の時は空気中の酸素は下に溜まるって聞いたことがあるから、とりあえず、避難できる態勢を取ろう』
私はベッドの上で起き上がり、周囲の様子を耳でうかがっていた。
バタバタバタと看護師をはじめ病院スタッフが、各病室をまわって来た。
私の部屋にも当直の看護師が来られて、
「今の火災警報は警報器の誤作動で火事ではないです。宮武さん、びっくりされたでしょう。安心してください。大丈夫ですか?」
と言われた。
「あ、はい、大丈夫です。どうやって逃げようか考えていました(笑)」
と言うと、
「転院されたばかりなのに、ご心配おかけして本当に申し訳ありません」
と、当直の看護師が若干涙ぐんでいるように見えた。
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
正直、当たり前だが、火事が誤報でほっとした。