答えた後自分の無知蒙昧もうまい、音楽音痴をさらけ出したことを深く反省してしまった。

しかし、この世には捨てる神あらば、拾う神も存在するらしい。丁度その時、少し値が張ったが、既にオーダー済みのボルドー・ワインをボーイが恭しく持って来たのである。

袖すり合った仲のかのご主人にもワインを勧めてみる。結構いける口らしい。先ずは、乾杯と相成った。先方、小生の音楽に関する無知ぶりについては、何ら関与することなく、他愛のない世間話に花が咲いた。

その昔、バンコクで下宿が同じであったノルウェー人の女性法律学者を思い出し、念の為尋ねてみたら、驚いたことに先方もその女性を良く知っているとのことであった。〈世間は狭い〉。

一九九六年の十月、一時帰国している際、浅草に落語を聞きに行く機会があった。雷門の前の交差点を渡っている時、何と向こうから見たことのあるお上りさんが歩いてくるではないか。

何の因果か旧知のタイ人夫妻に偶然会ってしまったのである。その時タイ人の口から出て来た言葉がなんと「ロークニー・ケープ・チャン」〈世間は狭い〉なのであった。

食事も終わり、ワインの酔いが回って来た頃、お待ちかねのオペレッタが始まった。結構な迫力でズンズンと吸い込まれていく。最後に歌手全員が舞台に挨拶に出て来た。

スタンディング・オベーションはなかったが、拍手の嵐である。と、その時である。くだんの御仁が、やおら立ち上がり、大きな花束を受け取ってそれを歌手に手渡しているではないか。

席に戻り私にウィンクをすると「数十年来の知己なんだ」と一言。袖すり合った御仁は、私の想像のレベルを遥かに超えた音楽愛好家であったのだ。

「貴殿は毎日いかなる音楽を聞きたもうや」だって。

そうです。あなたそんな疑問を投げかける相手を単に間違えただけなのです。私に罪はない。私は、決して悪くないのです。

一九六一年十一月十三日、J・F・ケネディは、ホワイ卜ハウスにて音楽会を主催したことがある。

著名なチェロの演奏家であるパブロ・カザルスは、その日アンコールとしてカタロニア民謡の「鳥の歌」を演奏し、カザルス自身も感動のあまり何度かうめき声を発してしまったとのエピソードが残っている。

くだんの御仁との間では、多分そんな会話を楽しめば良かったのかもしれない。

しかしである。私の人生、どうころんでみてもパブロ・カザルス、或いはパブロ・ピカソとの繫がりは何もない。

仮に、そんな実感のない言葉を発しても「底なし井戸に音もなく落ち続けて行く小石」と同じ様なもので、虚しくなるだけであっただろう。

沈黙は金なり。沈黙があってこそ、音はその輝きを誇っていられるのだと思う。