散りかけた群衆を薄笑いで見ていた男に近寄ると、腕を軽々とひねり上げて、倒れたままの浮浪児を見て、「無実の子供を見捨てるのか」と一喝した。
痛さにゆがんだ顔が、何事かと近寄ってきた公安を見つけて、「助けてくれ。この男に殺される」と絶叫した。必死で助けを呼ぶ仲間を見て、公安は当然のように拳銃に手をかけて走り寄ってきた。
もとより言い訳なぞ聞く耳を持たない公安から身を守るには、黙ってその男から手を放すよりほかはなかった。
わいろを取り放題であった公安が二の足を踏んでいたのがこの靴屋で、下級の自分の立場をはるかに超えた官僚をお得意様にし始めていたのが面白くなかったところに、おあつらえ向きの事件が転がり込んできたと目を光らせる。
「前からお前は怪しいとにらんでいた。記憶喪失の男にしては目配り、手順が良すぎる。本当にそうなのか取り調べる。もしかしてお前は、今捜査中のアメリカ人ではないか?」
とたんに周りの聴衆がざわざわと、後ずさりを始める。彼にとっては最悪の誤算で、たとえ身元がばれなくても、強制収容所行きは間違いないところだ。
公安の一人ぐらい頃合いを見て処理できるが、逃れた後変装し続けたりなど、当然計画の変更を余儀なくされる。残された時間がない絶望感で、体の力が抜ける。取り巻いた人たちは凍りついたように立ちすくみ、奈落の底に落とされる男を見つめていた。
人々の輪が突然崩れて、老人が前に飛び出してきた。
「旦那様、旦那様、ミンです。私です。門番のミンです。お見忘れですか、リー中尉様でしょう?」
食い入るように見つめ、自分を指さしている。靴屋は驚き、茫然と立ちすくむ。
「私がおわかりにならないのですか。永年お仕えした私の目に間違いはありません。ちょうど奥様もお子様もこの市場に買い出しに来ています。今お連れいたしますから、お待ちください」
あまりにも真剣な勢いに、公安も黙ってしまった。
間もなく母子が飛び込んできた。
三人の一番下の子供の手を引いた母親が、3年もの長い間探していた夫の姿を認めると、あふれる涙を拭いもせずに、胸に飛び込んでいった。一番上の兄が続いて抱きつくのを見て、残りの子供もすがりつく。門番も喜びを手足でどう表現したらよいかわからず、もじもじさせていた。
男は何が起きたのか理解できずに、胸の女性と子供たちを見ていた。事情を悟ったボスが、山から滑落して記憶喪失になり、身元を探る旅の最中であることを説明した。
夫の状態が呑み込めて、次に何をしてよいやら混乱しながらも、また消えてしまいそうだと、服の裾を掴んで離さない。
公安が門番を捕まえて、「中尉と聞いたが、本当か?」
「はい。近衛第一中隊の中尉様です。」
その言葉に公安と隣の売人の顔色が激変した。
指導者に一番近い軍隊で、軍人として能力・知力が最高に優れた護衛軍団である。
自分の今の態度と今までの行為を考えると、強制労働どころか、命の保証もない。悪さを重ねた二人はよろよろと離れていった。ボスは倒れた少年を抱き上げ、逃げた売人の商品を食べさせている。