夜の森
ラウルは大木の裏側に回り、火を起こす準備を始めた。慣れた仕草で、てきぱきと薪を集め、銅製の細い瓶から何か黒々しい液体、油を三滴落とした。
ぱっとあたりは温かい炎に照らされた。小さなたき火がパチパチと心地よい音をたてた。ラウルは静かに腰を下ろし、たき火を見つめた。
そのとき、突然彼ははっとして顔をあげた。険しい眼で、たき火の灯りの届かない暗闇をじっと睨にらんだ。
反射的に右手は剣の柄を握っている。落ち葉を踏み、低木にぶつかりながらゆっくりと、こちらへ向かってくる音がする。獣ではない。
「何者だ?」
冷静なラウルの声が静かに言った。その声は、まだ大人にはなりきらない少年の声に違いなかった。
ガサガサと葉を踏みしめるように近づいてきた音はいったん止まり、またラウルの方へ進んだ。人影が見えた。ゆっくりとであるが、今度は躊躇することなく、人影は灯りの前に姿を現した。ラウルの険しい眼は大きく見開いた。
目の前に立っていたのは、長い髪をした背の高い少女だった。
彼女は、大自然の夜の森に不釣り合いな水色のドレス、よく手入れされた栗色の流れるような髪、足には長めの革靴を履いている。美しいとは言いがたい顔立ちだったが、平民にはない気品が漂っていた。
「こんばんは。港の火事から、ずっとあなたを追ってきたのです。」
よく通る声の響きだった。少女は汚れてすすのついたドレスの裾を両手でつまみ、優雅な仕草で、身分のある女性の挨拶をしようとした。
「お待ち下さい!」
ラウルは慌てて立ち上がり、片膝を立て、炎をはさんだその場所で、跪いた。少女は顔を上げ、驚いたようにラウルを見た。
この時代、身分の低い者が先に名乗りを上げるのが、常識だった。
「僕は、いえ私は、ラウル=アルクベルト。アルメニス国の近衛騎士です。ウッドベル港の火事で騎士団とはぐれてしまい、今夜はここで夜を明かすつもりでいました。」
少年騎士は、はきはきと名乗ったが、突然の身分の高い女性の出現に慌てていた。そんなラウルの様子を見て察したのだろうか、少女はにっこり笑って、親しげに少しだけ腰を落とし、頭を下げて、挨拶の仕草をした。
目はラウルを見たまま、優しい口調で言った。
「私は、ブルクミラン国の第二王女ディアナベスです。ブルクミラン国はご存じ?」
「もちろんです。一番西端にある小国……いえその音楽で有名な。」
「とても小さな国です。」