臨床医学の発展の陰にこれらの基礎医学の発展があり、収益性のみでこれらを廃止することには反対です。国は高齢化社会に向けて、高度な医療よりも目先の高齢者医療を担うブルーカラー労働医師を養成しようとしています。地域医療への貢献や、救急医療教育を建前にして、救急患者で目先の利益を得ようする経営手法は若手医師に見透かされています。救急の医師の一斉退職などの問題がいくら噴出してもこの態度を変えていく空気は皆無です。

さらに近年、医局・医学部教授の権力低下が著しくなっています。教授個人そのものに価値がなければ定年退官後の天下り先もなくなっています。大学は理事会の意思決定力が強くなり、学長の権限が増すと、ますますNo を言えない組織となっていきます。医局という法的にはあやふやな組織が安穏と存在し、医局員から医局費という名の年貢を納めさせ、関連施設からは寄付と称して集金し、その代償として医師を派遣するシステムです。

しかし2004 年の新臨床研修制度導入以降の医局への入局者の減少は、従来人材派遣によって周囲の病院に権力を保持してきた医学部教授の権力を低下させました。さらに臨床研究に関する利益相反問題などによって、奨学寄付としての製薬企業や医療機器企業からの収入が減少しました。


また専門医制度への偏重志向は、大学での臨床、研究よりも一般病院での経験症例数の蓄積を重視する方向に拍車をかけました。専門医資格の重視やその乱立は、学会の経済的収益を目的としていましたが、学会独自の認定ではない専門医機構が設立されました。

「足の裏の米粒」(とっても意味ないがとらないと気持ち悪い)と揶揄される医学博士号の価値低下は、一層大学医局からの離反をもたらしました。教授の秘書的な役割を果たすが、公的でないポジションである医局長は大学へのコミットメントが強く、臨床能力に優れていて、ローカルなキャリア志向の医師が任命されるケースが多く、組織へのコミットメントが高いがゆえに、病院や教授などの管理側にNo を言えず、上層部に盲従することになります。

医局長は医局員から人望があり、臨床能力の高い人がなるがゆえに、医局員もクレームを上申することすら諦めてしまいます。これによって特定の個人へのしわ寄せが過大となると、疲弊して退職へつながります。既に一般病院の方が医師の労務負担軽減策など、大学病院よりも早期にワークライフバランス(WLB)の改善に取り組んでいます。

教育に関しても、我々が医学部の学生の時代は、現在のような手厚い教育システムは存在しませんでした。

現在の医学教育はより専門学校あるいは職業訓練校化しています。

客観的臨床能力試験(Objective Structured Clinical Examination :OSCE) やCBT(computer based testing) などに加えて、教育のグローバル化の波でWFME(世界医学教育連盟)により定められた国際認証を取得するための教育システムの導入、ファカルティ・ディベロップメント(FD)研修など、医学部教員の負担はますます増加していますが、教育能力を評価したり、教育に対するインセンティブを付与することはありません。臨床を行う大学病院勤務医師と大学の教職員の役割を分離する必要性を感じます。

今後の大学の脅威としては、教育の多様性が挙げられます。インターネットを通じたオンライン教育など「学びのダイバーシティ」を、Edtech(エドテック)と呼びます。Education × Technology(教育×テクノロジー)の造語で、教育とテクノロジーを融合させ新しいイノベーションを起こすビジネス領域を指します。Edtech の発展はいずれ大学という箱そのものが陳腐化となる未来すら予感させます。