「いつかこの日が来る、と予想していました。恐らく、沖田刑事の所へ、私の息子から通報があったので、私をここへ呼んだのだと思います。私は、やがてこの警察を去って行く者として罪を負うつもりです。また、父親として子どもを教育できなかった責任を取るつもりです。私は、若山洋子殺しの犯人として鉄格子の中に入るのは、いっこうにかまいません。
しかし、沖田刑事、どうか男の頼みをひとつ聞いて欲しいんです。マスコミでは、私が犯人であるかのように騒いでいるけれども、警察からは、マスコミの目や耳に、香村良平が犯人であるとは伝えないで下さい。それがまた、警察のためにもなるのです……」
「それはまた、あんたらしくない。勝手な言い分だと思うが……」
「沖田刑事、刑事には確かにご迷惑をおかけします。また、これまで迷惑をかけて来ました。でも、どうか、私の逮捕は来年の桜の花が咲く時、つまり4月まで待って欲しいんです。お願いです。それから、沖田刑事から、できるだけ早く、私の息子に言って欲しいんです。『事件について調べたところ、稔君が通報してくれた通り、君の父、香村良平が犯行を認めた』、と伝えて欲しいんです。
そして、頼むから、私を来年の4月まで沖田刑事の監視の下で結構ですから、今までみたいに自由にさせて下さい。お願いです」
「……香村さん、あんたは、来年の4月と言うが、なぜ?」
「はい。4月までに何とかしたい、と思っているのです。私は、稔の教育には失敗しました。それを痛いほど感じています。私は今、最後のチャンスとして、稔に生きる喜び、厳しさ、苦しみに耐える心を植えつけてやりたいんです。本当の意味で、私は息子に父としての厳しさ、愛などを与えてやることができませんでした。自分のことばかりに夢中になっていたので、子どもが私に話しかけて来ても、耳を貸すこともできませんでした。
息子の体はぐんぐんと大きくなりました。それとともに、息子は少しずつ不良になって行きました。日頃から会話のない親子だったので、注意することにも親としては恥ずかしいですが恐怖を覚えました。だから、世間を騒がせた『魔のヨット・スクール』へでも放り込もうとすら考えたのです。愛情なんてどうでもよかったのです。ヨット・スクールで息子なんて死んだほうが良い、と思ったほどです。親と子の血なんて切れても良いとも思ったくらいです。