正面にバー・カウンター、そしてその奥にカット・ガラスが嵌め込まれた扉つきの飾り棚が造り付けられ、内部には夥しい数の酒壜が並べられていた。殆どの容器が個性的な形態の透明な壜であるところから、特別なしつらえのグラッパが詰められているようだった。
右手の開口部には中庭に面して小さいバルコニーが設けられ、深緑色に塗られたスチールの両開き扉が取り付けられている。そしてその窓の前に、天井いっぱいの高さでレースとドレープのカーテンが吊り下げられていた。
「私が昼寝をする部屋ですよ。さあ、もっと奥へどうぞ」
室内を見回すと、確かに右隅にベッドがある。反対側には赤い革張りの小椅子が二脚と、その間に、寄木細工で象嵌された楕円形のテーブルが置かれている。
左側に目を転じると、壁の中心に飾られている油絵こそ、まさにピエトロ・フェラーラの第一作、《緋色を背景にする女の肖像―災難の終焉への感謝》だった。
天井には二基のスポット・ライトが取り付けられ、透明感のある暖かい光を絵に照射させている。外観から判断すると、ハロゲン球を装着し、スプレッド・レンズとUVフィルターとがダブルに重ねられているような、かなり特殊な照明器具だった。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商