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時間

生きていれば、そう気にかけることもなかったはずなのに、父の亡き後、過去を振り返るたびに寂寥感に襲われたりしたのは、単なる望郷の念からではないだろう。

思い出の中に、何かしら言い知れぬ父の遺訓みたいなものを感じ取ったのは、ずっと後になってからであったが。

大島は、星空に目を向けていると、なぜか虚しい気持にかられて目頭が熱くなった。

そうして感傷的になっていると、在りし日の父の姿をひしひしと浮かび上がらせたのは、それからだった。

もしかすると、父は息子の厄介な性格に手を焼き続けていたのではないだろうか、と振り返る。自分で言うのも変だが、あの頃の自分は無口で引っ込み思案だったような気がしてならない。

しかも神経質で優柔不断、不器用ともなれば尚更のこと、一家の大黒柱を担う長男に適しているとは決して言えなかったし、そんなひ弱な息子を見かねて、父の心が激しく揺さぶられたのだとすれば……。

息子を星空に誘ったりしたのは、すぐ庭先に自然界の大パノラマが広がっていたからだとはいえ、天体観測という一風変わった大自然の教材に興味をもたせながら、遊び心を通してともに語り合い、何かを伝えようとしたのではあるまいか、と。

息子の行く末を案じたりして……。

多分、そうに違いない、と思った。

父が性急にならざるを得なかったのは、父自身、癌と言う病魔に冒されていたことも否定できない大きな理由の一つだろう。

しかも余命わずかともなれば、人生終焉の最期の瞬間、つまり死を意識することを余儀なくされていたはずだし、その切羽詰ったような心情は、一刻一秒を争うほどの緊迫感を生み出していたのではあるまいか、と。

息子が幼く、物事の道理を理解する能力があるなしに拘わらず父の話が時として難解さを帯びざるを得なかったとしても、それは決して常軌を逸したものとは言えなかったであろう。

星空の下、夜空を見上げながらともに語り合う親子の時間は、一刻千金にも値するものだったのに違いない、と……。