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龍馬が近江屋で思ったこと
それから三十一年後までの間に、龍馬はその人生を使って、対立していた薩摩藩と長州藩の間に入り薩長同盟を秘密裏に締結させ、かの大政奉還に尽力した。
そして、その日は龍馬の誕生日であり、彼は京都近江屋の二階にいた。そこで彼は自分の人生をあの時のように振り返った。まず、子供の頃から龍馬は女性とよく付き合った。
特に、覚えているのは土佐藩士・平井収二郎の妹である加尾と、北辰一刀流の千葉定吉二女であるさな子である。そして、その後京都で出会った医師の長女である楢崎龍を内縁の妻とした。
彼女たちはみな素晴らしい女であった。これだけで龍馬は自分の人生に悔いはないと思った。そして、寺田屋事件のことも思い出した。
その時は、三吉慎蔵と一緒に伏見奉行の捕り方に囲まれてしまったので、高杉晋作からもらった拳銃を取り出し、二人を射殺した後、親指を負傷したので逃げた。
その後、三吉が助けを呼んでくれて龍馬は助かった。その時彼は涙が止まらなかった。自分のために仲間が一生懸命になってくれて感動したのだ。龍馬はその気持ちだけでうれしかったので、もう死んでもいいとさえ思った。
龍馬の人生は基本的に新しいものを求めた。新しい武器、新しい規則、新しい日本。また、彼は政治家にはなろうとしなかった。商人の方が自分は向いていると思っていたのである。
別にお金を稼ぐことがいやしいことだとは思わなかった。金は彼の想像力を刺激し、彼は黄金を稼ぐことに生きがいを感じたのだ。本当に自分がこんなに幸せになっていいのかというくらいに、龍馬は毎日が楽しくて仕方なかった。
しかしもう死んでもいいとは思ったが、まだこれからである。これから何をしよう、そう思った矢先に刺客に殺された。
才能と驕り
金とは、他人からの評価を数値化したものである。
才能とは個性であり、自分で評価するものである。人は金に執着し、それを求める。しかし、何かほしいものを買いたかったり、不自由のない生活を送りたいなどというわけではない。