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最期のスープまで

基本的には毎日訪問診療と訪問看護に伺い、平日は言語聴覚士が、休日は家族がCさんの経口摂取をサポートしました。

果物、魚、ヨーグルト、味噌汁などを娘さんがペースト状にして持参し、それにゲル化剤を加えたものをCさんは少量ながら食べました。

そして嚥下力がさらに低下し、それらが飲み込めなくなると、娘さんは有名な料理家である辰巳芳子さんの「いのちのスープ」を作ってくるようになりました。それをゼラチンでゼリー化すると、Cさんはいとも簡単に食べたそうです。娘さんは本物のすごさを思い知ったと話されていました。

このようなエピソードを残しながらも、Cさんの身体の衰えはしだいに進んでいきました。しかし、Cさんの「食」への思いは衰えを知らなかったようです。

驚いたことに、Cさんは無呼吸が出現しながらも、家族に励まされ、温かい「いのちのスープ」をごっくんと飲み込まれたそうです。それは旅立たれる三〇分ほど前であったと家族が教えてくれました。末期の水ならぬ末期のスープです。

Cさんが亡くなられてしばらくの後、家族がご挨拶にみえました。娘さんが、「最期まで食べるという行為は、単に栄養を摂るというだけの行為ではないことがよくわかりました」と話してくれました。

しかしそのとき私は、望むべくもないのですが、Cさん本人から直接「食」へのコメントを聞きたいと強く思いました。なにせ、Cさん本人とは一度も会話をしていませんでしたので…。