第三章 古代からの使者 Ⅵ 三経義疏の謎
① 勝鬘経義疏
② 維摩経義疏
③ 法華義疏
聖徳太子は、上記の三種類の義疏(経文の解釈、解説をした講義録)を著述したと言い伝えられている。だが近年では、これらはすべて偽造されたものだという説が有力視されている。もしそうだとすれば、現存する「三経義疏」は誰が書いたものだろうか。
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「聖徳太子が仏教を弘めたということは有名ですよね。まさかそれもウソだというんじゃないでしょう?」まゆみがいった。彼女も疑心暗鬼になりはじめているようだ。
「ところがそれも疑っている人がいるんですよ。なぜなら『日本書紀』の聖徳太子に関する記事は、どこまでがほんとうで、どこから先が作り話なのか、さっぱりわからないからです。その一番いい例が、三経義疏です。ノートに箇条書きされているように、三経義疏というのは、勝鬘経義、維摩経義疏、法華義疏の三種類の義疏を指すわけです。そのうち、勝鬘経と法華経を太子が講義したと『日本書紀』には書かれています。
しかし敦煌で発掘された経典類の中に『勝鬘経義疏』があってですね、その内容の七割近くが、聖徳太子が作成したとされる義疏と同じだったんです。また太子の自筆だと言い伝えられてきて、国宝に指定されている『法華義疏』という題号をつけられた古文書があります。ところがこの書物の題字と執筆者名の書かれたところが切り取られていましてね、その上に新しい紙が貼られて、[これは上宮王の書かれたものである]という意味のことが書かれているんですよ。
つまりほんとうの著者名が書き換えられているわけです。そんなことから『法華義疏』もニセモノだといわれはじめまして、三経義疏すべてが中国かどこかにあったものを書写して持ち帰り、それを聖徳太子が作成したものだとしたニセモノに違いない、という説が浮上してきました。これを三経義疏偽書説といいます」
「磯部さんも、太子の親筆だといわれている『法華義疏』は、ニセモノだと思います?」
「さあ、どうでしょう。ぼくはそこまでくわしく研究していないのでなんともいえませんが、ただ仏教学者は聖徳太子が書いたものに間違いないといっている人が多いようですね」
「それはどういう理由からですか」
「専門的なことはよくわかりませんが、内容からみて七世紀に書かれたものだと考えられること、本文中で使われている誤字から、中国人が書いたものではないと主張しています」
「誤字というのは、もちろん漢字ですよね」
「当然そうです。しかも同じ誤字をなんども使っていることから、誤字を誤字と認識していない人間が書いたものだと思われる、ということらしいです」
「ああ、そういうことですか。だからこれを書いた人は中国人ではないということになるわけですね」
「そうです。ただし『法華義疏』には新しく貼り紙がされていて、その上から聖徳太子が作成したものだという意味の文章が書かれているのは事実ですから、これが本物だと主張する場合には、誰がなぜこんなことをしたのかを説明する必要があるでしょうね」
「わかりました。するとここにも誰かがなにかを隠そうとした痕跡があるということだけはたしかですね」沙也香は小さくうなずきながら、つぶやくようにいった。「では次の釈迦三尊像の謎について説明しましょうか」
「いいえ、それはけっこうです。法隆寺に見学に行ったとき、案内してくださった方からていねいに説明していただきましたので」
「じゃあ教授のノートの説明はこれで終わりましょうか。最初にいったように、くわしくやるときりがありませんから。今日はここまでにしておきましょう」