家は農家ではなかったが、屋敷の周りの畑で野菜などを作っていたので、彼ら同様、マムシが寄りつかないよう願掛けをしていたのである。

砂袋を、霊験あらたかなお守りとして、てるてる坊主のようにして土間の入り口に吊るしていたことを覚えている。

子供の頃、よく棒を持って遊んでいたことを思い出すと、あれは野球とかゴルフの素振りの真似事をしていたような気がする。いざとなれば、マムシ除けの棒にもなったので、子供たちは棒を持って遊んでいたと思う。マムシに咬まれたら命が危ないという意識は子供たちの間でも芽生えていたし、川や山で遊ぶにしても、マムシと遭遇しないよう草むらを棒で叩いたり、用心しながら遊んでいたように思うのだ。

マムシを棒で追い払っているうち、突然マムシが威嚇し、尾を細かく震わせていたことも、苦い思い出の一つである。

マムシについての印象は強烈に心に残っているのに、成人した今頃になって事もあろうにマムシと遭遇し、皮肉にも自分がマムシに咬まれることになってしまったのだから、こんな笑止千万な話はないだろう。

頭の中を、あのニュルニュルとしたマムシのグロテスクな姿が駆けめぐって、大島はまた背筋がゾッとした。

仰向けになったまま、じっと目を閉じているのだが、過去のいろんな雑念が湧き上がってきては患者の安静を妨げるのだった。

発熱やめまいなどのショック症状は軽減されていたものの、手当てが遅れれば命取りになりかねない。

今は血清があるから大丈夫ですよ、と救急隊員から慰められていたが、それも小心者には気休めとしか思えず、病院へ着いてからも恐怖心を払拭するまでにはいかなかった。

顔面蒼白である。