6.レオナルド・ダ・ヴィンチとミラノ
画家にして作家、そのうえ天文学、物理学、解剖学、建築学などあらゆる分野で才能を発揮したルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ。2007年、彼の仕事に触れる機会を得た。
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東京国立博物館で開催された展覧会、「レオナルド・ダ・ヴィンチ――天才の実像」。平日だというのに開館前からレオナルドの若き日の作品『「受胎告知」』をひと一目見ようと200を超える人が列をなしていた。
本館は「『受胎告知』」のみの展示。暗い部屋にその絵だけが鎮座していた。フィレンツェのウフィツィ美術館から初めて日本に来た絵画。
まるで今、目の前で天使が聖母マリアに神の子の受胎を告げているようだった。美しい色彩で細部にわたって丁寧に描かれた力作にただただ見とれた。
別会場の平成館では、レオナルドが残した手稿(素描やメモを書きためた手帳)をもとに彼の研究成果や構想を模型やビデオなどで紹介していた。人体、動植物、自然現象、建物、兵器などさまざまな分野におよぶ彼の探究心と創造力にあらためて驚いた。
一つひとつひとつを興味深く見ていると、数時間が経っていた。人間尊重、古典文化復興を唱えたルネサンスの時代に足を踏み入れ、天才の英知を少し分けてもらったような満足感を得て会場を後にした。
ミラノに行きたい……とガイドブックをながめていて、その展覧会を思い出した。レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年、フィレンツェ領内のヴィンチ村の公証人の私生児婚外子として生まれた。
出生後すぐに実母と引き離されたことが、レオナルドの人格形成に大きな影を落としているともいわれている。
フィレンツェで工房を経営するヴェロッキオに弟子入りし、基本的な絵画技法や彫刻技術を習得。ヴェロッキオ工房が依頼されて制作していた『「キリストの洗礼』」にレオナルドが描いた天使の見事さに、師のヴェロッキオが絵筆を絶った断ったと伝えられるエピソードからも、その天才ぶりが分かる。
晩年はミラノ、ローマで過ごした後フランス王フランソワ1世の招きでアンボワーズ近郊のクルーの館に居住。67歳で没している。「『受胎告知』」は、レオナルド単独の最初の作品(油彩、98×217cm)。