京都墓情 二〇一七年十二月:【第一日目】叡山電鉄沿線から金戒光明寺

魂が肉体へと引き戻される。熱々で絶妙な甘みが効いた、しかも本場物より美味しい長崎皿うどん。一口頬張ると僕は蘇生した。

師走のある日、午後七時過ぎ。底冷えの京都西陣は、気温五℃。寒風に晒され続け、空腹な僕は、尿漏れどころか、魂までも漏れ出そうな切羽詰まった状況だった。

小倉から京都へ出て、大学時代を過ごした僕は、週末毎に西陣の街中華の長崎皿うどんを食べるのが、なによりの楽しみだった。そんな僕の青春画報の巻頭カラーページを飾る長崎皿うどんを食べる、その一念が僕を支える。

「南無長崎皿うどん」と唱えつつ街中華へと歩を進める僕は、通行人には修行僧のように見えたかもしれない。

しかし、今日、こんなに底冷えするとは思ってもいなかった……。

十二時間前、JR小倉駅。一泊二日という限られた時間で、効率的に京都を攻略するために、練り上げた作戦を女房に披露する。

初日は、主に洛北を攻めるべく、叡山電鉄を利用しての行軍だ。かつて京都に住み、その後、度々訪れているにも拘わらず、叡山電鉄は初めての利用となる。洛北の名所は辺鄙なだけに、正直、行くのが面倒だったのだ。

出町柳駅を出発して十分もすると京都らしい街並みは消える。宅地開発で建築中の住宅が所狭しと並ぶ、地方都市と変わらない景色になってきた。