正直、この取引がうまくいって私も内心ホッとした。これで私の店も救われる。画家ピエトロ・フェラーラも有名になって絵も高く売れる。一石二鳥だった。
『そうか、気に入ってもらえて良かった。私の望みなど、たいしたことではないが、まあ、会長のせっかくの仰せだからひとこと言わせてもらいましょうか。第一に、画家ピエトロ・フェラーラを大いに有名にしてやってほしい。いや元々、駄目画家などではない。君も見ればすぐわかる、凄い絵を描く男だよ。
今度、絵を持ってくるからぜひとも見てくれたまえ。第二に、二百万リラを用立ててもらえまいか。これは支度金だ。第三に、今後ピエトロ・フェラーラの絵は全て、ギャラリー・エステに取り扱わせてもらいたい。
最後になるが、これは私のほんの小さな夢。先日話したように、将来、自分の店をフィレンツェで一番立派な店にしたいんだ。今後、ロイドさんの格別なご配慮をいただきたい。そのご威光とご支援があれば、将来は間違いなくフィレンツェで一番になれますからな』
『それだけか? 良く分かった、そのことは全て約束しよう。ところで、フェラーラ夫妻とは話がついているのだろうな? これは養子縁組みなどではない。ユーレなどという名の娘は初めからいなかったということだ。それに、二百万は口止め料だよ。だから間違いなく全額をフェラーラさんに渡せ。分かるかね?永久に何もなかったのだ。親としての正当の権利など一切ないことはもちろんのこと、親であったという事実さえ葬り去るのだ。私とフェラーラさん共々だ』
『何の問題もないさ、エドワード。もらい子の件は間違いなく永久に秘密にさせる。彼らが約束を反故にすることなど絶対にないはず。この世界であんたに睨まれれば生きていけないことは必定だからな』
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商