【知ったかぶり】
「オギャー」と母の貝から生まれたから、母と貝の「貫」で一貫目を標準となし世に出され、生から死までの間を知るから人間と書くそうですが、今や年間に二万人を超す自殺者に、混迷を隠せない状況となっているのですが、どんなわけがあろうとも、私に言わせていただければ、途中で人間を放棄するわけですから、そんな人は「間」を抜いて「間抜け」と呼びたい(『数霊のメッセージ』)。
一九九八(平成一〇)年から二〇一一(平成二三)年までは、毎年三万人を超えていました。また、交通戦争と言われた、交通事故による死者数でさえ、一万人を超えたのは、一九五九(昭和三四)年で、一九九三(平成五)年まで続きましたが、全国のお巡りさんのたゆまぬ努力によって、今ではその約半数以下まで減少させたのです。
それと比較しても、いかに自殺者が多いかが理解できるのです。それも、若年化がますます進んでいるようですが、どうか間抜けにだけはさせないように、お父さんお母さんを中心に、学校の先生方のお力添えを得ながらも、大切な子供の命を守りましょう。
明日何が起こるか予測できないのが世の常、しかし、そんな世にあって誰もが均等に、間違いなく訪れること、それは「死」なのです。
人は、火葬場で焼かれ一貫目の骨となって、一貫の終わりとなるのですが、生ある限りどんなことがあっても生き抜くのです。
それが人間としての義務だから、と私は声高らかに訴えたいのです。
二〇二〇(令和二)年五月二三日頃から、テレビのニュースに、プロレスラーの木村花さんが、インターネット上で、匿名による誹謗中傷を受けたことが取りざたされていましたが、最低です。
言葉は、いかようにも発することができ「泥棒にも三分の理」、と言いますが、しかも、よってたかって多数の方がそのようなことをしては、いくら強い人間でもめげてしまいます。
ましてや女性です。自分が発する言葉に、責任を持たせるためにも、匿名は禁止にしましょうよ。でも、いくら辛いことが起ころうと、自分の心まで汚染されては負けです。自分だけの心です、何を考えようと心をどこに置こうと、それだけは自分勝手で良いのです。
そこだけは、強い心を持ちましょう。心一つの置きどころだから(『運命を拓く』)。