新聞配達でいくらもらっていたか
いちゃぶ(三男の兄)の影響で、小学三年生から始めた新聞配達、たった二八件、されど距離が半端なく、自転車で配達していましたが、配達先の殆どが農家で、その家の配置とその道路を絵にすると魚の骨状態でした。
約二時間かけ配達するのですが、犬に追いかけられたり、噛みつかれもしました。だからその頃は犬が嫌いでした。
でも悪いことばかりでなく、冬は面白い現象が起こります。
それは日中晴れのいい天気の日に発生するのですが、畑に積もった雪の表面が、気温上昇で溶かされ、そんな日の夜は満天の星空とともに気温もぐんぐん下がり、表面が凍りつくのです。一夜にして特設スケートリンクの完成です。そこを若干の新聞を載せた自転車が突っ走るのです。なんて気持ちのいいことか、その日ばかりは道路は無視、魚の骨ではなく直線的に各家へ「コ」の字に配達することができ、配達時間も大幅に短縮し約半分、それはそれは気持ちのいいことで、そんな些細な幸せでも満ち足りていたのでした。
一カ月働いて頂いたお金は、なんと、たったの千円、でも、今でこそお年玉で千円もらっても有り難さは伝わらないなんて、贅沢をぬかすがきがいるかもしれないが、一九六五(昭和四〇)年頃、アイスキャンデーが三〇円? 飴玉一個が一〇円、お祭りの小遣いだって五〇円、そう考えると、千円のそれはありがたい相応の金額でした。
※畑の自転車走行は、時間・お天道さまとの戦い
自転車に乗っているという感じではなく、広いスケート場で、スイースイーと滑っている感じ、朝まだ早いうちは絶好調、がしかし、お天道さまが昇り始めるとやばいことに、表面が溶けだし、いきなり前輪がズボッ! 自転車ごと前回転、注意はくぼみ(地面からの突起物か水路)、表面が薄い。そこにハマったらサー大変、天と地の差である。
【知ったかぶり】
現代人は、物質文明という時代に生まれたおかげで、物質的方面の生活に対する便利さは、昔と今では比較にならないほど、幸福に生きられている。しかし、精神的方面の生活というものは、残念ながら、昔の精神主義で生きている人間に比べると、それは全くお粗末である(中村天風先生の『運命を拓く』言葉と人生から)。