『そうか? それでは仕方がない。では、まずこれを返してもらおうか』
そう言って私は一枚の紙をピエトロに見せた。私の方も何とか店を建て直さねばと必死だったんだ。
『これは何だ? 何、百二十万リラだと!』
『私がこれまでお前さんにつぎ込んだお金だよ。もしどうしてもこの話が嫌だとほざくなら、このお金、返してもらおうじゃあないか。今すぐ耳を揃えてな。あんたの芽がちっとも出ないため、ギャラリー・エステも左前なんだ!』
『うーん、それとこれとは違う。卑怯だぞ、コジモ!』
『まあ、どちらにするかアンナさんとも話し合いたまえ。いいかね、はっきり言わせてもらおう。下の子のユーレだ。彼女をヴォーンさんに差し出すことを了承しろ。そうすれば全てがうまくいくし俺も助かる。ただし、一つ条件がある。このことは永遠の秘密だ。お互いに会いに行くことはまかりならぬ。また親だと名乗ってもならぬ。幸い、お前はよそ者だし、アトリエは野山の中の一軒家。人付き合いもないし、双子の娘の存在も知られてない』
『コジモ、お前は鬼か、さもなくば悪魔だ!』
フェラーラは興奮して今にも私に飛びかからんばかりだった。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商