すなわち、非核保有国に核保有を目指すなというような条約を作ることに換えて、その時核保有国のなすべきであったことは、「我々は核を完璧に廃絶します」という非核保有国に向けて行う宣言でした。その時、人類は核の廃絶を決意し実行するべきでした。
それができなく核が人間界に居座ったため、その後に生じていることは目を覆いたくなる色々様々な愚かな事柄です。核保有国が「(当方に)核があるから(相手から当方に)核が使用されることがない。よって、核は必要だ」というような餓鬼の喧嘩とさして変わらない愚かで幼稚な考えに立っている限り、核は人類滅亡のその日迄廃絶されることはありません。
自国に人類を滅亡する悪魔を導入しておいて、他国も悪魔を導入しているから、悪魔を以て悪魔を制御するために悪魔を手放せないという理屈ですが、自ら招いた自業自得の抜き差しならぬ事態下における、下らない愚の骨頂たる理屈です。このいわゆる「悪を以て悪を制する」というのが一つの理屈というのなら、ここは人類の英知を結集して、もう一つの理屈である「理外の理」を以て、この人類共通の悪魔を人間界から消滅するために人類は協力一致団結して当たらなければなりません。
このことは「人類共通の心」として全ての個人そして全ての国が、理解を深め喜び勇んで実行に移すことです。この「心」が欠落したままに、仮に何か強要されたことのように疑念と共に「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」が実現できたとしても、それは今保有する核兵器についての物理的なお話に過ぎません。核兵器の科学的知識も技術も、不可逆的ではなく、人間の文明には残ります。「人類共通の心」が保たれなければ、核兵器はいつでも再製作できるのです。
核の知識やエネルギーそのものは基本的には善なるもので悪なるものではありません。それを厄災化している人類が愚かなのです。核の知識やエネルギーの平和的かつ安全な利用は人類の未来にとっては必要なものです。例えば、地球に衝突して来る小惑星の軌道をずらすことなどにも使えるかもしれません。全てはそれを扱う我々人間の「心」にかかっていることです。