「……さて、これがきっかけで、この画家との付き合いが始まったのです。名前は、ピエトロ・フェラーラと言いましてね、確か、当時三十歳の少し手前ぐらいだった。絵のモデルは奥さん。アンナさんというのだが、たいそうな美人でしてね。エリザベスさん、あなたのようにね。
何しろ私はエドワードの厳しいお達しで、ずっとあなたにはお会いしませんでしたからね。だが、お父上のご葬儀の日、お傍に寄らせていただいて、あなたがあまりにもアンナさんにそっくりなので驚いたものですよ」
「アンナさんと私とはそれほど似ているのですか?」
「もう三、四十年も前のお顔ですが、瓜二つと言っても良いくらいにそっくりですな。いつでも思い出すことができますよ。アンナさんの顔をね」
アンナの話になったところで、突然コジモの奥深い目が怪しく光り始めた。
「フェラーラはアンナさんとはロンドン時代の友達だと言ってましたよ。ヴェネツィアのカステッロ地区にあるサン・ザッカリア教会の有名なフレスコ画、ええ、アンドレア・デル・カスターニョの作といわれているものですがね、相当傷んでいましてな、彼はその修復の仕事で二人してヴェネツィアに来たのだと言っていた。でもヴェネツィアでは、夜や休日にいつも絵を描いていたようでしてね。その一枚が偶然私の目にとまったというわけです」
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商