我々人間界には絶えることのない争いが存在しています。争いが生じる主な根源には、1.人種・民族の差別、2.宗教の存在、そして3.主権国家の存在、の三大根源があります。これらがなぜ争いを創造するのか、そしてどうすれば人間界から争いを追放することができるのかについて思いをめぐらします。

人種・民族の差別

人種・民族→争いから敬愛と融和の主体へ昇華

南アフリカ連邦下において黒人の主権を主張して自らも28年間も牢獄に閉じ込められていたマンデラ元大統領が大統領に選任され、南アフリカ共和国に生まれ変わった際、マンデラ元大統領は過去の弾圧と投獄・虐殺等あらゆる非人間的な黒人差別の怨念と憎しみの過去を徹底的に許す政策を実行し融和の道を選択しています。

又、インド独立の父マハトマ・ガンジーは武力による争いは一切行わず、徹底的な非暴力主義の中に不服従の抵抗主義で以て大英帝国の支配を終わらせています。

武力では何事も最終解決に至ることはありません。それは対話によりお互いが心から納得する以外に得られるものではありません。それが人間の性だからです。

教育の場において歴史を教えることは必要です。しかし、それは人種・民族、宗教、国家が過去に為しあるいは為された悪行を飾ることなく記録することのみで十分であるということにはなりません。

悪行を教えることで、それを反面教師として、人類の幸福と存続のために過去を許し合う理屈と寛容を教えるものでなければなりません。

宗教の存在

あるシステム(体系)が成立するためには、①システムの中に証明不能(真偽や存否が不明)の構成要素が入っていないこと、②システムの中の構成要素間に矛盾がないこと、これら2つの条件が満たされなければなりません。

この視点から宗教を見ますと、宗教は理屈の上ではシステムとして正しく成立していない系であることになります。すなわち、宗教の構成要素については、神をはじめ、その多くが存否や真偽が不明ですから、条件①が満たされておらず、また宗教の聖典の中に矛盾のない聖典は存在しませんから条件②も満たされておりません。

つまり、宗教は虚構です。

我々人間は空想し想像する(できる)生命体です。空想や想像で生じた虚構そのものは、虚構として受け取っている限り、人生を面白く豊かにする一面もあり、一概に否定するべきものでもありません。

しかし、困ったことに、宗教はこの虚構を真理・真実であると妄言し喧伝しています。ここに至り、宗教は愛らしい虚構から妄想に変貌しました。