教授が残したノート
「真実を隠蔽してですか?」沙也香は教授に問いかける。
「聖徳太子の話というのはほとんどが作り話だということは聞いたことがありますが、真実を隠したというのはどういうことですか。真実の記録は『日本書紀』が編纂されるころにはすでに失われていた。だから架空の作り話を書いたのだ、という話は聞いたことがありますが」
「いや、そんなことはない。真実の話や言い伝えは、その当時、間違いなく存在していたはずだ。実話はすでに失われていたと考えるのは学者の邪推だ。というよりも、事実を突き止めることができないことの言い訳にしているにすぎない」
と教授は辛らつな口調で語り、次のような話をした。
「例えばこんなことを考えてみよう。厩戸(うまやと)の皇子(みこ)が亡くなったとき、彼の身のまわりの世話をしていた多くの若者がいたはずだ。その中の、当時二十歳だった青年が六十歳になったとき、つまり厩戸が亡くなって四十年が経過したとき、老人は十歳になった孫に、若いころに仕えた偉大な大王の話を情感豊かに話して聞かせたことだろう。
孫は祖父から聞いた話を身体の芯までしみこませ、その孫が五十歳になったとき、つまりさらに四十年が経過したとき、彼も祖父と同じように、まわりの人々に偉大な大王の感動的な話を伝えていったに違いない。ここで厩戸のことを[大王]といっているのは、ほんとうは彼は当時の倭国大王だったとわたしが考えているからだが、その理由は後ほど話すことにしよう。