ともかくこのような時代に『日本書紀』の編纂ははじまったと考えられている。するとその当時、まだ伝説にまではなっていない厩戸皇子の生なまの伝聞が世の中に広く残っていたはずだ。

それなのに、なぜ『日本書紀』の記事は謎だらけなのだろうか。むしろそのことのほうが大きな謎ではないだろうか、とわたしには思えてならなかった。ここからわたしは考えはじめた。

なにかの理由で、厩戸皇子の真実の伝承は正史の中では隠されてしまったのではないだろうか──と。さらに、たとえ政府から圧力を受けてそれを破棄するように命令されたとしても、誰かがひそかに隠し持っていたということはなかっただろうか。そしていまでもまだ、その真実の記録が残っている可能性はないだろうか──わたしは一縷(いちる)の望みを託して、そんなことを考え続けていた。するとあるとき……」

と強い口調で語り続けていた教授の言葉が突然断ち切られ、消えてしまった。

沙也香は、はっとしてノートを見直した。すると最後の数ページが引きちぎられているではないか。そのために、ここで文章が途切れてしまっているのだ。

沙也香はふと我に返り、あたりを見まわした。まゆみは本の山を見つめながら所在なさげにぼーっとしていたが、夫人はじっと沙也香の顔を見つめていた。