奉公

雑木林をやっとの思いで開墾し、少しずつ広げて11年。

次郎右衛門が所有する田んぼの東側に、名主の藤左衛門(とうざえもん)が所有する雑木林が広がっていた。

次郎右衛門はこの雑木林のうち二反歩ほどを買い受け、次郎平に相続させ、さらに次郎平自らが将来買い取ることを条件に一反歩を名主から借地し、都合三反歩で独立した。

しかし、雑木林とはいえ既にこの地は石高を割付されており、年貢を納めねばならなかった。元々多摩川の河原地であり、砂利混じりの土地に一面笹竹と雑木が繁茂し、とても作物ができるような状況の土地ではなかったが、次郎平はまずこの雑木林を開墾することからはじめなければならなかった。

次郎平は分家するにあたり名主の小作人・佐平(さへい) の娘、里(さと)を嫁にした。次郎平と里が夫婦になって最初の仕事はふたりの住まいを建てることからであった。

足の不自由な次郎平にとって雑木林の開墾は苦難の連続であった。やぶを切り開き、木を伐採して根を抜き、石を掘り出しては運び出し、耕しては堆肥や灰をすき込む。

一年かけて、ようやく五畝の畑をつくった。しかし米はできようもなく、青野菜を作っては府中や日野宿の市で売ってしのいだが、生活は貧乏のどん底であった。

家は土間と板の間、座敷一間で、その座敷も敷板にゴザ敷という粗末なものであった。

夫婦になって三年目に長男平吉(へいきち)が生まれた。七歳までは神の子といわれる時代、幼くして命を落とす子も多かったので、次郎平と里はとてもかわいがり、自分たちの身を削っても食いものに不自由させることなく大事に育てた。

それから十年掛けて、ようやく三反歩の雑木林を、低い石盛であるが下々畑にまで開墾し、名主から借地していた一反歩を買い取って自分のものにした。