春の出会い
邪気:80 代謝:75 正気:70
僕は高く夜空を見上げた。
アパートの前には疎水が流れていて、その間に幅二メートルほどの小道がある。そこには遠くの街灯と家々から漏れる明かりしか照らすものがなく、夜空にはたくさんの星が見えるような気がした。
疎水に沿って吹き来るまだひんやりとした風は、雨後のアスファルトの匂いを含んでいて、ジワリと脳を覚醒する。お尻がムズムズして背中にゾクーンと電気が走る。そんな異様な興奮を覚え、ニヤリとした。今まで味わったことのない感覚。
(なんも言えん!)
ずいぶん前に流行語にもなったような言葉が浮かぶ。言いたいことは今よくわかる。
でもしばらくすると、せっかくの興奮も静かに冷めてくる。
(そのうちこんな感じ、忘れてしまうんやろうな)
僕はもともとそういう風に考えてしまうのだ。
第一志望だった京史大学農学部。合格発表される場所を間違えて、僕が見に行ったときには人もまばらになっていた。そのため、ずいぶん遠くから掲示板に自分の番号を見つけることができたが、閑散としたその場所で大声を上げるわけにもいかず、俯いたまま、全身を駆け巡るその喜びを噛み締めた。その感激からまだひと月あまりしか経っていない。
願を懸けた数多くの神社へのお礼、世話になった予備校への挨拶、親族からの合格祝い、このアパートの選定などと慌ただしく時間は過ぎていき、今日ようやく本格的にこの京都に引っ越してきた。
日中は引っ越し業者に頼んであった荷物を搬入し、とりあえずここいらにと適当に片付けた。たぶんこのとりあえずここいらが何年か続くのだろう。もっとも荷物はそんなに多くなく、家具も必要になったときに買いそろえるつもりだったので、コンパクトな部屋にもいくぶん余裕がある。
あらかた片付け終わったのは、もうすでに陽が沈んだ後だった。一息つくにもまだ何もないこの部屋。ジャケットを羽織り、財布だけ持って、二階から狭い階段を下りて外に出た。そして高く夜空を見上げた。
今日から念願の、一人暮らしの大学生活が始まる。