「でも私、ポルトガルは初めてで、ロンドンを発つときから旅行案内書を読み続けていましたの。外せない急用のため、ロンドンからアムステルダム経由でリスボンに入って、それであなたと同じアルファ・ペンドゥラール号に乗り合わせることになりました。それが宗像さんのご好意でタクシーに同乗させて頂いたということです。
でもポルトは初めてですし土地勘もありません。どうしようかと思っていた矢先、翌日のお誘いを受けて、便乗させていただいたわけです」
「でも……それが披露宴には出ないでここにいらっしゃる?」
宗像が指摘すると、エリザベスは多少むきになって反論した。
「本当に午後一時の披露宴には出るつもりですのよ。でも昨晩、部屋でパーティーの支度をチェックしておりましたら、コサージュを忘れてしまったことに気がついて」
「コサージュ?」
「胸飾りのようなものですわ。翌朝、コンシェルジェに相談しましたら、街の中心部に良いアクセサリーの専門店があると伺い、朝十時からオープンしているとお聞きして、タクシーを飛ばしてまいりました。でもその途中、大きい画廊街のあることを知りましたの。
運転手さんに確認しますと、数十軒くらいはあると言われ、何という幸運でしょうか、フェラーラのことが少しは何か分かるかもしれない。本格的に見るのは明日にするとしても、一時間ぐらいは大丈夫と判断して、急いで見始めたら、偶然この画廊であの絵を見つけたというわけなのです。
ええ、私も本当に驚きました。まさに私自身を描いたような絵に、ポルトで巡り合ったのですから」
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商