参─嘉靖十五年、宮中へ転属となり、嘉靖帝廃佛(はいぶつ)の詔を発するの事
(1)
「そうか……」
掌中の花をうしなったいまとなっては、正戸の声も、はんぶんは虚(むな)しく響いた。
けれども、これまでずっと、正戸になりたい、正戸になりたいと思って、やって来たではないか。それに、城内に入れば、ひょっとしたら、あの子を――遠くからでも――見戍(みまも)ることができるかもしれぬ。
……しかし。
ぬか喜びばかりで、地べたをはいずり回るような生活をしていると、事あるごとに、猜疑心が頭をもたげて来るようになる。これは、うまい話に見えるけれども、どこかに、落とし穴があるのではないか?
「わしなんぞを引きぬくより、内書堂(ないしょどう)には、若くて、優秀な宦官がたくさんいるのではないか? 佐の才を養成するための学校だろう?」
「それは、そうかもしれないが、さる事情があってな」
「どういう事情だ」
あたりに目をおよがせた田閔(ティエンミン)が、まあよいか、おぬしは口がかたいから、と前置きして、あとをつづけた。
「李清綢(リーシンチョウ)師父は、いずれは、司礼監太監(しれいかんたいかん)の座にふさわしいお方だ。陛下のおぼえも、めでたい」
それは、十分、うなずける話である。あの野心と力量とは、その地位に値するかもしれぬ。
「ところが、内書堂の校長は、司礼監(しれいかん)提督を兼務しているのだが、近年、李師父とは、すこぶる仲がわるい。内書堂出身者といえば、あっちの息がかかっている可能性がすくなくない。そのような者をひき入れれば、こちらの手の内が、細大もらさず、漏れてしまうかも知れぬのだ」
「なるほど」
人は、偉くなると、政敵の情報収集のため密偵も放てば、秘密漏洩の防禦策も講じねばならぬようであった。
「それで、おぬしの出番となった。いずれにしても」
田閔(ティエンミン)は、私の肩をぽん、ぽんとたたき、相好をくずした。