第一章 新兵
壮行
昭和十四年の元旦は穏やかな晴天だった。年始回りは午後から行こうと謙造が言うので、杉井は昼前に神社に詣でることにした。安西通りは車の数も少なく、各商店が閉まっていることもあって、ひっそり閑としていた。
例年の正月と同様のはずなのに、杉井はいつもより静かな正月のように感じた。通りの各家の軒も沈黙を守りながら、入営前の杉井に今年は特別の挨拶をしているように感じられた。
神社に着くと、そこはさすがにかなりの人出だった。祈願を済ませてから境内を散策したが、佐知子と会うことはなかった。本殿の前で破魔矢を買って、石鳥居側の門を出ると、片桐とすれ違った。
「杉井。久しぶりだな。入営は決まったか」
「十日に名古屋へ行く」
「そうか。大変だな。俺の場合は静岡の連隊入りだから気楽なものだ」
「場所は静岡でも、連隊に缶詰めにされることに変わりはないから、大変なのは同じだろう」
「そうだな。まあ、一度徴兵されたら、いつ入営する、どこの任地に赴く、すべてお国の意のままさ。さしずめ風にそよぐ葦ってところだ。人生、何事も諦めと割り切りが大切だな」
「いつまでもそんなさめたことを言っていてどうするんだ。どんなことだって、やる気を出してやらなきゃ同じことやってもつまらないだろう」
「だからもう割り切ったと言っているだろ。俺だって馬鹿じゃない。軍隊という組織に入ったら、俺なりにちゃんとやるさ。言いたいことを言うのは生まれながらの性分ってやつだが、実際に何かする時には自分のことだけ考えて行動するような人間ではないと自分では思っている。それにしても杉井や岩井のように何も悩まずにやれる奴らはうらやましいなあ。でも、杉井は、本当のことを言えば、軍隊なんか行きたくないだろ」
「いや。俺は軍隊のような目的が明確な組織に入ることは望むところだ。静商を出てすぐに家に入ることに多少のやり切れなさもあったし、そのせいもあって今までの俺は、仕事をしていても、はっきりとした目標を持ってそれに情熱を傾けることができていなかったように思うしな」
これは明らかに杉井の本音ではない。佐知子に軍隊に行くのが嬉しいかと訊かれれば特に嬉しくないと言い、今片桐に軍隊なんか行きたくないだろうと言われれば、行きたいと答える、人間の対話には作用、反作用のようなものがあると杉井は感じた。