第一章 新兵

壮行

冒頭、「我が国の軍隊は世々天皇の統率し給うところにぞある」とあり、その後、長い武家政治から解放され、統帥権を掌握した天皇親政の歴史の概要が記されていた。

儒教的思想が随所に盛り込まれた勅諭を読みながら、なかなか崇高な内容であると杉井は思った。歴史の年号を丸暗記する要領で五ヶ条を覚えつつ、杉井はふと片桐のことを思い出した。

片桐は、静商時代も学力優秀ではあったが、全く予習というものをしない男だった。前もって勉強などしたら、授業で同じ内容を教師が話す際退屈極まりないだろうというのが口癖だった。杉井が五ヶ条を覚えているのを見たら、相変わらずつまらん準備をする奴だ、と非難するに決まっていると思い、杉井は苦笑した。

一方で、五ヶ条の内容について、片桐はどう思うだろう、とふと考えた。これを見る限り、まず個人というものは否定されている。当然であろう。しかし、片桐のことだから、国への忠誠と個人の尊厳というものは両立し得ないものではない、その両立に支障をきたす部分があるとすれば、それは修正を加えるべきである、と言うのではなかろうか。

でも片桐はもうすっかり割り切っていると言っていたし、五ヶ条を述べよと言われれば、例によってスラスラと答えるに違いない。何をやらせてもサマになるだろう、とでも言いたげに。

十日早朝、新調の軍服に身を固めた杉井は、家の近くの八雲神社へ行った。杉井の家のある北番町からの入営は杉井と岩瀬辰彦の二人だった。壮行のため、境内には二人の親戚、町内の知人約二百人が集まった。町内会長の矢崎六郎が、二人の間に立ち、太い眉をなで、背筋を伸ばして、よくとおる声で挨拶をした。

「我が国は、東亜新秩序建設のため、国際的にも大変に重大な時代を迎えております。このような非常時に、北番町から二人の優秀な若者を兵隊として送り出すことは、町の名誉であります。お二人はどうかみ国のために立派な軍人になって下さい」

杉井は二人を代表して、
「本日は、私どものために、これほどのたくさんの方にお集まりいただき、大変に恐縮しております。み国のために立派にお勤めをしてまいります」
と入営者としてのマニュアルどおりの挨拶をした。

社前で祈願を済ませ、人々の万歳に送られて、杉井は先頭に「祝入営杉井謙一君」の「のぼり」を立て、徒歩で静岡駅に向かった。茶町通りから呉服町通りを抜け、駅までは三十分ほどだった。途中すれ違う人たちは、歩みを止めて、拍手で杉井を見送った。