第一章 新兵

壮行

ここまで言って佐知子はにっこりと笑った。

「でも謙ちゃんは絶対に死んだりしない。一所懸命やる人は神様が絶対に不幸にしないはずだもの。もし心配だったら、初詣での願掛けは、謙ちゃんが無事に帰って来れますようにってことにしてあげる。来年はお願いすることたくさんあるけど、一番目のお願いにしてあげようかな。特別扱いっ。だから、謙ちゃんもいろいろ考えないで、今までどおりやらなくちゃいけないことに一所懸命取り組むようにして。これからの謙ちゃんの役目は、軍のお仕事をこなしていくことなんだから。ところで、静岡には時々戻って来れるの?」

佐知子に慰められたり、励まされたりすることは、幼い頃から何度かあった。

その際の佐知子の発言は、いつも、謙ちゃんは強いんだから、謙ちゃんは立派なんだから、というのが前置きになっており、杉井は、自分が必ずしもそんなに立派ではないと自覚しつつ、佐知子にそこまで言われたら、と思ってそれを励みとするところがあった。

あるいは、佐知子は、男たるもの女から慰められたり、励まされたりするのを潔しとしないだろうと気遣ってわざとそんな言い方をしているのかも知れないと思ったこともあったが、それならそれでも良いと思った。

それほどに佐知子の激励は常に効果的であり、今回も杉井は、佐知子との会話に、無意識のうちに、自己を鼓舞してくれる部分があることを望んでいた。

そんな佐知子との会話とも、また今まさに目の前にある佐知子の笑顔とも、しばらくお別れかと思うと「人は別れを意識した時に相手を本当に愛しく感じるもの」という、かつて小説で読んだ言葉が、今や杉井の実感となった。

静岡に帰ることがあったら必ず佐っちに会いに来るよと言いたいところだったが、今日もまたいつもの杉井の照れが先行した。

「せいぜい年末年始くらいかな。それもあまり長い休みはもらえないだろうから、そうゆっくりできないと思うね。もっとも、三ヶ月経ったところで幹部候補生の試験があって、その結果次第ではすぐに出征ということになるみたいだし」

「そう。さすがに大変ね」

「それに出征してしまったら、任地にもよるけど、いつ帰って来れるか全く分からないしね。帰って来る頃には、佐っちもお嫁にいって子供も何人かいるんだろうな」

望んでもいないことを敢えて口にする、つくづく人間とは不思議な生き物だと杉井は思った。

「何故そんなこと言うの?」

佐知子は杉井の目を見た。時に正面からじっと相手の目を見つめる、これも佐知子の癖だった。思わず杉井は視線を落とした。薄紅色のセーターに柔らかくふくらんだ佐知子の胸の線が鮮やかだった。杉井は一度だけ佐知子の裸の胸を見たことがあった。と言っても、小学校六年生の時である。水泳の授業が終わって着替えの時だった。

そろそろ気にして胸を隠しながら着替える女の子もいる中にあって、おてんばだった佐知子は、お構いなしに水着を肩から外して腰まで下ろし、体を拭きだした。小学生の杉井は、他の男子生徒同様、何の関心の持ちようもなかったが、隣の席にいて、佐知子の裸の上半身が目に入った。