八月二十一日に『ココ』へ行くと、久しぶりに神矢が来ていた。日焼けした顔が、彼の精悍さを一層際だたせていた。

「やぁ! 久しぶり!」

店内はバッハの『無伴奏チェロ組曲』が静かに流れていた。

「マスター。お嬢さんに、いつものを」
「お帰りなさい。いい取材ができて!?」
「あぁ。まず広島の平和記念公園にある、『原爆の子の像』について、改めて取材したよ」
「原爆の子の像?」
「知らないのかい?」
「えぇ。教えて」
「広島で被爆した当時二歳だった佐々木禎子さんは、十年後に白血病で倒れて、八カ月間闘病生活を送って、十二歳で亡くなったんだが、禎子さんは、鶴を千羽折ると助かると信じて、薬の包み紙や包装紙なんかで、鶴を折り続けたんだ。その禎子さんを原爆で亡くなった子供達の象徴として建てられた像だよ。少女が両手を上に広げて、金色の折り鶴を捧げ持っているブロンズ像だ。像の下の石碑には『これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための』と刻まれている。海外でも有名な話だよ」
「平和ボケね。私、知らなかったわ」
「僕が衝撃を受けたのは、禎子さんが亡くなったあと、ベッドの下から一枚のメモが見つかって、禎子さんが白血球、赤血球、血小板の数値をどこで見たのか、書き写していて、自分の命が短い事を知りながら、それを家族に知られないように隠していた事や、母親にすがって泣いたのは一度きりで、それっきり一度も泣かなかった話を聞いた事だよ」
「そんな小さな子が、家族を思いやったのね」