第1の扉 多感だった幼少期から思春期
生い立ち
歴史と文化が交差する地で
僕は和歌山県南部の田辺市に住む。人口7万弱のこの街は、美しい海・山・川に恵まれた風光明媚で温暖な地域だ。南高梅で有名なみなべ町、温泉で知られる白浜町が近隣にあり、世界遺産「熊野古道」や「熊野本宮大社」などの歴史的建造物も多い。まさに歴史と文化が融合した地と言えよう。
三偉人として挙げられるのは、合気道の開祖・植芝盛平、世界的博物学者・南方熊楠、源義経の家臣・武蔵坊弁慶。最近では「紀州のドン・ファン」と呼ばれた資産家が急性覚醒剤中毒で死亡した事件でも有名になった。いみじくも、この事件によって僕はテレビに映ることになった(それは後ほど語ろう)。田辺市に本籍を置いて五十年以上になる僕だが、実は北海道札幌市生まれである。
開拓者精神を持つ両親
父の名は伸幸。昭和15年(1940年)山形市生まれの4人兄弟の次男だ。小さな会社を経営していた祖父から「これからは資格が大事だ」と諭され、奮起して北海道大学医学部に進学した。
母の名は阿也子。昭和12年(1937年)札幌市生まれの9人兄弟の末っ子である。小さい頃から男勝りな女性だったと聞く。その逸話の一つが、全国に二校しかない国立女子大の一つ「奈良女子大学」に、北海道から合格したことだ。
情報量が乏しく、交通網も発達していない時代。飛行機は高嶺の花で新幹線もない。おそらく、受験するだけで往復1週間は要したに違いない。合格した際には、道内でちょっとした話題になったと伯父から聞かされたことがある。
その後帰郷し、北海道大学図書館の司書として働いていた時に父と出会い学生結婚。父が医学生の時に僕と弟が生まれた。
両親と僕(左)、弟二郎