父の苦難と新たな道
当時は学生運動の真っ只中であり、医学部もその熱狂と混沌の渦中にあった。学生結婚で妻子を抱えていた父は、一刻も早く医師にならなければならないという切迫した状況にあったため、一部の学生たちが要求した国家試験のボイコットを拒否し、受験を強行した。
しかし、この受験決断が「闘争の裏切り」と見なされ、同級生たちから激しい国家試験の受験妨害にあった。その結果、父は母校のある北海道での受験を諦め、東北地区で試験を受けることになった。
合格後、「裏切り者」のレッテルを貼られた父は、出身の大学病院や基幹病院で働くことができず、道内の診療所に勤務せざるを得なかった、と聞いている。
この頃黎明期にあった内視鏡技術を、北海道大学に在籍していた故・並木正義先生に学んだ。なお、その後の人生で僕と並木先生は不思議な縁でつながることになる。
妻子のため、少しでも条件のいいところを求めて医学雑誌『医事新報』の求人欄を頼りに、「月の法善寺横町」ではないが内視鏡一本をさらしに巻いて、北海道から東京へ、そしてたどり着いたのが縁もゆかりもない田辺市の民間病院だった。
父は「胃の長嶋」で有名だった。当時、胃潰瘍は難病で再発を繰り返していたが、父は患部に直接薬液を注入する最新の治療を行っていた。僕が保育園に入園する頃、大塔村(現田辺市)の二つの診療所(富里と三川)に移り、近隣市町村はもちろん、県内外から噂を聞きつけた多くの患者が村の診療所を訪れた。
開業すべく父の弟家族を東京から呼び寄せ、満を持して開業したのは昭和48年(1973年)、僕が小学校一年生の時だ。登校する時刻には駐車場はいつも満杯で、遠方から来た方や入院治療を要する患者のために、入院施設を増設したのはほどなくしてのことだった。
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