斎王は伊勢へ向かう直前、都のはずれの野宮に籠る(嵯峨野の野々宮神社〔京都市右京区〕、または西院野々宮神社〔京都市中京区〕)のが通例である。
関係した女性を二人殺され、こりごりと思っていた源氏だが、風の噂に六条御息所の野宮潔斎を聞いた。源氏は、最後だからと野宮を訪れる。
「町を離れて広い野に出た時から、源氏は身にしむものを覚えた。もう秋草の花は皆衰えてしまって、かれがれに鳴く虫の声と松風の音が混じり合い、その中をよく耳を澄まさないでは聞かれないほどの楽音が野の宮のほうから流れて来るのであった」(与謝野晶子訳『源氏物語』)。
源氏は「ものはかなしげなる小柴垣」、その秋の庭の露に濡れて立つ。すると簀子(すのこ)(縁側)から六条御息所がいざり出る。
ちょうど月光が出るなか、源氏が先ほど手折った榊を渡す。自分が道で手折った花を贈るのは逢瀬の礼儀であるが、祭祀者へは花は送れないので、榊とした。
そして御簾をはさんで一晩語りあかす。
「思ほし残すことなき御仲らひに聞こえかはしたまふことども、まねびやらむ方なし」という。こうして朝方になって、「あかつきの別れはいつも露けきをこは世に知らぬ秋の空かな」と詠嘆して語らいが終り、風が寒くなり松虫もなきからしたなか、永遠の別れとなる。(馬場あき子「六条御息所という人」)
愛憎の後、晩秋のひなびた風景のなかの語らい、美しい別れである。
本居宣長はこうした情交を評して、「その間のもののあはれの深き方をかへすがへす書きのべて、源氏の君をば旨とよき人のこととして、よきことの限りをこの君の上に取り集めたる」と評価し、源氏の君をもっぱら「よき人」(「もののあはれ」をよく理解している人)の手本として、よいことのすべてをこの(源氏の)君の身の上に取り集めて(『源氏物語』は書いてある)という。