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第1章 前近代の男女交際と家族制度

1-2 太パパ源氏の家族とライフヒストリー

妻・妾・召人・行きずり

一般には、源氏物語に記された平安貴族社会は、高群逸枝『日本婚姻史』以来、母系的な妻方居住婚(婿取婚)および、一夫多妻の妻問い婚(通い婚)と理解されてきた。

これに対して古代文学者の工藤重矩(くどうしげのり)は『源氏物語の結婚』で、律令のなかの戸令(古代の民法)をもとに、平安時代は通い婚による一夫多妻制度ではなく、

正妻―妾(しょう)(通い所)―愛人(一時的な関係)―召人(めしうど)(使用人)―行きずり

の、多層な男女関係であることを指摘し、正妻はひとりであると主張している。確かに、戸令には、女性は 妻―妾―女―家人―奴婢 とあり、これを論拠とした主張である。

しかし、愛人という概念は平安時代にはなく、妾、召人、あるいは不義の密通など多様な「愛人のようなもの」があった。

その差異は物語では判別しがたいが、必ずしも上記の五類型に分類できるわけでもない。むしろ、正式婚姻形態だけではなく、身分を越えた不義密通を含む多様な「愛人のようなもの」こそが、『源氏物語』の愛憎のテーマであった。

とはいえ、正妻の子は嫡子であり、それ以外は庶子となり、正妻の子・嫡子のみが、官位と財産の相続をし、庶子には身分の保証がなかった。

召人の子は落子(らくし)となるが、身分差の子であり認知されない場合もある。男女関係と同様に親子関係も、嫡子、庶子、落子、未認知によって、子の取扱い、昇進に差が出る。

ゆえに妾であれ女であれ正妻以外の産みの母は、我が子の行く末、己の愛の地位を巡って思い悩む。母は名が表面化せず、「右大将道綱の母」(『蜻蛉日記』の作者)などと名乗った。

彼女のパートナー藤原兼家(道長の父)は、三夜妻問いしたが妻屋に居つくことなく、自宅から複数の女性に通った。

複数の女性の一人である「右大将道綱の母」の子の道綱(藤原道長の腹違いの弟)は、めったに来ない兼家が去り際に言う「今こんよ(じきに来るよ)」を幼少期にまねたという。

『源氏物語』はこうした不安定な男女関係から想像力を膨らますが、それをもって一夫多妻の事実があったと考えてはいけないと工藤はいう。確かに、戸令からみれば妻は一人である。

だからといって、この多様な男女関係の社会を、絶対一夫一妻で、それ以外は異端と言い切ってしまうのも現実離れしている。

社会的に見れば、多層な男女関係が「妻、妾、愛人、召人、行きずり」のなかにあったという工藤の指摘は卓見である。

しかし、その多層な男女関係を社会的構造的にみると、単純一夫一婦制ではない多様な古代の家族制度、男女関係がみえてくる。

いずれにせよ、『源氏物語』の時代の男女関係は、一夫一妻を絶対とし、妾・愛人を公式には認めないとする近現代日本の男女関係とは大きく異なり、多層な男女関係があった。

男が通うのか、女が通うのか、はたまた駅近くのホテルに女が通うのかは別として、平安時代も現代も、多様な男女関係があることは事実である。

近代から高度経済成長期まであった一夫一婦こそ、歴史上は極めて特殊な男女関係である。一夫一妻の現代人の常識は、歴史的には非常識である。

正妻以外との多様な男女関係は、『源氏物語』が描くように古代の文化であった。一九九六年、不倫騒動の渦中で、俳優石田純一が言い放ったように「不倫は文化だ」は、二〇世紀の一夫一妻(近代家族)を一喝した名言ではなかろうか。