私が文章を書く理由
私は小さいころから、父に対して殺意に近い気持ちを抱いて生きてきました。
今になって思うと、それほどに憎いのは、それ以上に愛されたかったからです。私がよい成績を取った日でも、なにか気に入らないことがあると、一転して怒り出す父でした。父は私がやりたいことも否定しました。将来の夢や自分の行動を、親にすべて否定されるのは、大変に生きづらいことです。
父への殺人を実行してしまったらどうなるのか、かなり小さいころに学習していましたので、大人になってなにか実績を残せるようになったら、認めてくれるだろうと思うことによって、自分の気持ちに蓋をしていました。
あのころの父の齢を迎えて思い当たるのは、自分にとって気に入らないものはとことん気に入らない、そりが合わない娘がよい成績を取ることさえ腹立たしい、だから口実を探して怒るということだったのでしょう。
要するに、父は自由奔放な私に嫉妬していたのです。私の幼少期はちょうど高度経済成長期と重なり、日本がとても元気なころでした。豊かになった社会で自由に振る舞える私に対し、父は自分の幼少期とのあまりの違いに、もはやついてこられなかったのです。
もちろん父にも、私が娘だという認識は当然あったわけですから、愛したくてもその方法がわからなかったのだろうと、現在は父の不器用さを少しかわいそうに思います。