【前回の記事を読む】不登校の子どもの居場所に「Heartful」と名付けた私。響きが「Hurtful=傷つける」になると知って、むしろ気に入った
はじめに
そもそもフリースクールとは、不登校支援とは、教育とは
フリースクールというのは唯一、心意気だけで子どもを預かれる場所です。
法的に規定があるものではないため、教育に精通していなくても、何の資格も持っていなくても「今日からここがフリースクールだ」と声を上げてしまえば存在できる教育現場です。
もちろんそれだけに危うさも孕んでいます。代表の考え方が偏っていても、利用料が高くても施設が狭くても成り立ってしまうからです。
それだけに代表が何のためにどうして始めたのかが重要になります。退職した元教員や、不登校の保護者が立ち上げるケースが多く、私のように保護者でも教員でもなく、ましてや教育学部でもない経営学部の大学生が立ち上げるケースの方が珍しいと思います。
利用料を高くしたり、何か特徴的な教育と抱き合わせたりせず、居場所としてスタートするとなるとビジネスとしては成り立ちにくい事業です。しかし一方で、民間の助成金を活用したり、自宅を開放したりと運営費さえ何とかなれば誰でもスタートできるものでもあります。
私の場合は不登校生専門家庭教師として、お金を稼ぐ目的でこの世界に足を踏み入れました。
私は当初この仕事に人生を懸けるほどの熱意があったかというと全くそうではありませんでした。
もちろんアルバイトとしてできる限りのことはしようと思ってはいましたが、大学を卒業したら企業に就職するつもりでしたし、大学の授業と部活とサークル活動に精を出し、自分のキャンパスライフを十分に楽しんで、アルバイトは暇な時にやる程度の普通の学生でした。
家庭教師のアルバイトを始めて数年間は、子どもとかかわっている時間はもちろんその子のことを考えますが、そうでない時までその子の将来を案じたりしませんでしたし、教材や指導方法を熱心に研究したりもしませんでした。
通っていた大学が開校して間もない大学だったので、NPO団体を立ち上げる人、NGOを立ち上げる人、学内サークルや地域密着型サークルを立ち上げる人たちが周りに多かったという環境があったことと、経営学部だったので事業を起こすということに抵抗がなかったため、不登校生専門家庭教師を事業としてスタートさせたまででした。
そんな状況なので、当時の私は不登校についてもそんなに重く受け止めていませんでした。
大学生の私が訪ねていけば、普通に接し学習を進めてくれる生徒ばかりでしたので、彼ら彼女らの心の内がどれほど複雑だったかなど想像もしていませんでした。
私は今考えると本当に何も考えておらず、軽い気持ちで生徒たちに自分の電話番号を教えていましたし、軽い気持ちで「何かあったらいつでも連絡してきていいよ」と伝えていました。
その言葉の持つ意味もその責任も深く考えずに……。
そんなことを続けている中で、忘れられない出来事が起こるのです。