【前回の記事を読む】「毎日学校みたいで楽しい」秘書の仕事を楽しむ親しい女性。だが突然、新しい上司について「旦那さんを殺しちゃったって」と話し始め…

オランダの壺

8

しゃべろうとする麻田を、掌を突き出して制止し、赤道とのやりとりを語り出した。

由那は赤道が医者を辞めた経緯がずっと気になってしかたなかった。

――尊敬する緑さんの大きな転換点だからこそ、絶対に伺いたいです。

その日も赤道は教えてくれなかったが、三回目の食事のあと深夜まで飲んだとき、由那はもういちどお願いをしてみた。

――緑さん、前世では私が先生だったじゃないですか。

――実はね、その意味も考えてみたの。

赤道はしばらく無言になったあと、

――あなたに真実を伝えることも、そして、場合によっては、あなたが私から離れるとしても、それは私の魂に必要な試練だと考えることにしたわ。

赤道は静かに切り出した。

医者をしていたとき旦那さんは同僚だった。ところが「異常な事件」が起き、とっさに彼を刺し殺してしまったというのだ。

それを聞いた由那はショックのあまり気絶したらしい。目覚めるとすでに昼で、病院のベッドにいた。赤道はずっと病室で付き添っていたという。由那は謝罪をしたが、諦めきれず、また「異常な事件」を質問した。赤道はやはり答えなかったが、由那はいずれきちんと教えてもらう約束を取り付けた。

旦那さんを殺した後、赤道は刑務所にいた。ある夜、旦那さんが夢に出た。

――心配するな、おれは緑を恨んでいない。

それからも旦那さんはしばしば夢に現れ、いつも「恨んでいない」と告げた。その頃から霊能力が高まった赤道は、出所したら仏具を商いながら旦那さんの霊を弔うことにしたと言うのだ。

麻田は由那がいま観てきた映画の筋をしゃべっているようにしか思えなかった。だが、現実なのだ。麻田は震える声で絞り出すように言った。

「人を殺せば極悪人だ。畜生だ」

相手が「恨んでいない」と言えば、無罪放免なのか。

由那は沈黙のあとゆっくり言った。

「絶対、避けられない事情があったの」

麻田はその断定的な言い方にカチンときて、

「そんなの、理由にならん!」思わず大声が出た。

旦那が旅に出た、と言っていた赤道は、あろうことか、殺していたのだ。旦那は殺されて天上界(だか地獄だか知らんが)へ、強制的に立っただけなのだ。そのせいで本人も永い旅に出た。なんのことはない、刑務所にいただけじゃないか。

――だまされた。

あの人の微笑みは菩薩ではなかったのか。気を許していた自分が愚かすぎて吐きそうになった。

「秘書なんか、すぐに辞めろ」麻田は努めて冷静に言った。

由那はオレンジ色の丘に顔を向け、無言のままだ。

麻田には、由那が赤道の共犯者のように見えた。