過酷な環境も絶望も、彼を打ちのめしたりしない。

彼は、自分以外を優先事項として認めない。譲れないものを絶対に手放さない。

自らの感性と表現をがっしりと抱き、何ものにも跪いたりしなかった。

私がシーレに出会ったのは、社会人となってまもなくである。社会性がなく、順応性に乏しく、そして生意気だった。

人間関係の確立が一番の苦痛だった。同僚や先輩たちを尻目に、根もなく、水面に浮いているだけのような自分の頼りなさを憂い、心許なさと、批判の感情と、羨ましさに支配された。ちっぽけな心は葛藤ばかり。卑屈がコイルのように捩れ、しまいに自分の感情さえわからなくなっていた。

シーレの大きな絵は私を釘づけにした。近くで見ると、足元には赤い汚れがあり、離れて眺めると、汚れは黒の中で顔を上げている一輪の花だった。

踏みつけられたらあっという間の限りなく無防備な生命。種粒から花へと、刹那を重ねて生き抜いた証を掲げ、承認も賞賛も望まず、枯れてしまえば記憶にも残らない。

しかしながら、それでもふてぶてしく誇りだけを主張する。なんて上等な生き方だ。

それに比べて、私のこのみじめさはなんだ。

周囲を窺って自分の感情を持て余したり、他の目に映る自分を気にしてばかりだ。今の私は誰だ、どこの誰だ。

こんなのは嫌だ。思うままの自分でありたい。こんな非建設的な感情から逃れたい。

目の前の絵を見ろ。自分の望む世界を勝ち取るには強さと才能が必要なのだ。

若かった頃の私の心に、シーレは強烈な種子を植えつけた。不遜で、歪で、不格好な、言葉にはできない大切なカタマリを。