1 桃栗三年柿八年梅は酸い酸い十三年
コラムを書きはじめて、まる三年が過ぎた。
「継続は力なり」。自分で自分をそっと労う。三年を振り返る。私も会社も成長していることは前提条件である。
このコラムを書きはじめたきっかけは、思いがけず組織の代表になったことに起因する。
仕事のことなら大抵なんでも知っていたが、経営など他人事だった。一般的な知識を抱えていても、それをどう活かすかはちんぷんかんぷんだった。ひと月過ぎるごとに現預金残高は心細くなる。途方に暮れたい気持ちだった。
わからないことばかり。でも弱音は吐きたくなかった。社内の意思疎通はそこそこはかれていたから、不安や苛立ちはダイレクトに伝播する。自信はなかった。けれども、組織を下降させる気も、投げ出す気もかけらもなかった。
大体さ、社長ってなにすればいいの? 世の中を注意深く眺めていても、ステレオタイプの行動しか見えてこない。出社したらお茶淹れてもらって、新聞読んで、そのあとどうするの?
秘書が出てきて、本日の予定が通知される。〝今日は何時から○ ○さんと面談の予定が入っています〟〝そのあと、このレセプションに顔を出していただいて…〟、誰も私に面談など申し込んでくれないし、出かけていくところだってない。
〝社長になったらの過ごし方〟なんてヤフー知恵袋にも載っていないし、グーグル君だって肝心なことはなんにも教えてくれやしない。
顔なじみの社長さんに、日々のルーチンをそっと尋ねてみても、熟練社長の日常など洗練され過ぎちゃっていて、下の下の初心者ランクが運用できることは少ない。しかし、さまざまな、でも自分独自の心構えと覚悟が必要なことだけは、十分に学ばせていただいたのである。
自信となる手持ちがなさ過ぎて、私にはよすがにする明確ななにかが必要だった。毎日がよい日になるようにと、ひと月に一度、雑文的なものを書き続けた。
そうすることで、切れそうになりがちな弱っちいスピリッツを必死でつないだ。能力も気持ちも心許なくて、見様見真似で立てた事業計画片手に、焦りで走り出したくなる気持ちを必死で抑え、なんとかかんとかやってきた。
目の前のことを精一杯やろう、うまくいくことばかりじゃないけれど、前だけ見ていよう。ひと月乗り越えるごとに、まぐれ勝ちみたいな居心地の悪さは軽くなっていった。
コラムを読み返す。自分の来し方にひと区切りつけるみたいに。