三年という月日を使って、私は誰になにを伝えたかったのだろう。年月を重ね、表現できなくても明確な答えはある。
自分自身に、知っている誰かに、まだ出会っていない誰かに、気弱になっている誰かに、元気になってもらえることを祈って書いてきた。それは自分の仕事に名前をつけるような行為でもあり、自分の意思表明でもあったのだと思う。
下を向いていれば、たまに拾えるコインもあるかもしれない。だけどせっかくなら前を向こう。できることならちょっとあごを上げてみよう。どうせなら、両手いっぱいに心地良い膨らみを抱えて、ちょっと上を目指そう。
今日がだめでも、しばらくだめでも、いつかは明るく笑えますように。眠る前に戒めよりは労いを与えられますように。明日からの自分を大切に思えますように。
だましだましなんとか自分を鼓舞してこれた。ひと休みしたいときは、心ゆくまで休めばいい。ちょっとくらい足を止めても、大概そんなに状況なんて変わらない。
桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年。空の星屑、ヒトデのため息。空を見上げる。
誰かが元気になる仕事をしたい。精一杯の今をつないで駆け上がってみたい。
まだまだ三年目のひよっこだけれど。
三年間、毎月このコラムをチェックし、アップしてくださった伴走者の青木さんに心から感謝申し上げたい。やっとやっと書き続けた私に、柔らかで優しい勇気をくださった。突然のお願いに快く写真を提供してくださった郷間さんにも、心からお礼申し上げたい。
そしてこの文章を読んで、なにがしか感じてくださったみなさんにも。欲張ってしまえば、今後読んでくださるみなさんにも先回りしてお礼申し上げておきたい。
今日は良い日。明日も良い日になりますように!
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