管理会社に電話した。担当者は事務的な口調で「今月中にお支払いいただけない場合は、法的手続きに移行することになります」と言った。

「事情があって、もう少し待っていただけませんか」

「事情、というのは」

「ストーカー被害で、職を失って——」

電話の向こうで、わずかに笑い声が漏れた。

「中村さんね、それは事情にはなりませんよ。お金の話なので」

渉は受話器を握ったまま、深く頭を下げた。電話の向こうの相手には見えない頭を、何度も下げた。それでも担当者の声は変わらなかった。事情、というものが、相手には一切届かないことを、渉はそのとき改めて知った。

渉はその夜、初めて今の部屋を出ることを考えた。

18歳のとき、あの家を出た。あのときは自由だと思った。でも今は違った。行く場所がなかった。頼れる人間がいなかった。誰かに「行かないで」と引き止められて出ていくのと、誰にも見送られずに出ていくのとは、まったく違うことだった。

(また、ゼロか)

渉は窓の外を見た。夜の街が広がっていた。どこか遠くでサイレンの音がした。渉はそれをただ聞いていた。世界中で、自分以外にも、誰かが大変な目にあっている。それだけが、その夜、渉のかすかな救いだった。

3.

部屋を引き払ったのは、その月の終わりだった。

荷物はボストンバッグ2つと、段ボール1つ。18歳で家を出たときと、同じだった。あれから7年経ったのに、自分の人生は、たった3つの荷物ぶんしか増やせていない。それどころか、もう「我が家」と呼べる場所すら失った。

トランクルームを借りて、段ボールだけ預けた。月3,000円だった。母の形見が入った段ボールだった。あのカーディガン。木彫りの小箱。貼りついたままのアルバム。渉はその箱を棚に置きながら、少しだけ手を止めた。指先で、段ボールの表面をそっと撫でた。

(お母さん、俺またゼロになったよ。ごめん)

心の中で言った。返事はなかった。当たり前だ。

ボストンバッグを2つ持って、渉はネットカフェに向かおうとした。だがその夜、ネットカフェも満室だった。連休前の夜だった。3軒回って、どこも空いていなかった。

財布の中には、2,000円しか残っていなかった。

渉は駅前の小さな公園に行った。ベンチに座って、ボストンバッグを抱えるようにして、目を閉じた。3月だったが、夜は冷えた。コートの襟を立てた。

午前3時、警察官に声をかけられた。