【前回の記事を読む】妻にルームランナーを買い与えた夫…最長30分に設定し、歩く横で「いち・にい!いち・にい!」と声をかけ続けて……
冬の訪れと卒業式
食卓には、千恵専用のおかずと娘・私用の二種類のおかずが並んだこともあった。
千恵は、自分には薄味で野菜中心の油分が少なめのもの、娘と私には、適度の濃味で、カロリーが高く塩分や糖分が入っているものを用意してくれた。ある日、千恵が、
「私もパパや彩ちゃんと同じものが食べたい。いくら身体に良くないとは言ったって、私が食べているもの、味気ないの分かる? ちょっと食べてみてよ」
そう言って、恨めしそうに私たちを見ている。
「十分、美味しいと思うけど」
と言ったものの、確かに、塩分はほとんど入っていない、低カロリーで薄味な食事に、私は満足できなかった。私が、
「今日の夕飯は、天ぷらが食べたいな」
と言うと、娘と私には普通に油で揚げたものを、千恵は油を使わないノンフライヤーで温めた天ぷらを作った。私もノンフライヤーの天ぷらを食してみたが、物足りなかった。
それでも、千恵はできるだけ家族全員が同じ物を食するように時間と手間をかけてくれた。自分が食べられない料理を用意するのは辛かったことだと思う。
ある日の夕飯を餃子にすることにした。三人が各々、自分の食べたい具材を使い、自分で作る。
「私は、挽肉なしの椎茸と野菜たっぷり」
「私のは、挽肉たっぷり、ボリューム満点の餃子にするんだ」
千恵と娘の会話が聞こえる。各自が好きな具材を使って今晩のおかずを作る。何回も分けて食べられるようにとたくさん作った。
自分が食べたい物を自分で作るということが、どんなに楽しいことかを改めて感じた。何よりも、家族が顔を合わせて、会話しながら時間を過ごすことがとても貴重で大切なことであると改めて感じた。
TVで、小さな子供が苦手な野菜を自分で育て、自分で調理すると、美味しいと言って食べられるようになると放映されているのを見たことがある。自分で作ったものは、どんなものでも美味しく感じるものだ。
千恵は独身時代、料理教室に通っていた。一人暮らしをしていたため、料理のレパートリーは多かった。クッキーやケーキを作ってくれたこともある。腕を振るった料理も自分は食べず、娘や私のために作り、
「ねえ、美味しい?」
と聞くのは辛かったようだ。それでも私たちが、「うん、美味しいよ」と言うと喜んでくれた。
我が家では、週末の夕飯を楽しく過ごすために、『居酒屋たろう』という名前の小さな看板を掲げ、三人で食事を取ることが多かった。どこにでもいる温かいイメージと、私が男の子も欲しかったという願望も込めてこの名を採用した。
メニュー表を作り、
「今夜、できるものはこの四品です」
そこから、娘と私が食物を選ぶ。メニューは、いくつか作っておき、月替わりとしていた。千恵が調理担当、私がホール担当、娘がお客という設定だ。たまに役割は変更する。
「お客さん、今日は活きのいい魚が入ってるよ」
とホール担当が言う。客である娘はそれを注文すると、焼き上がった魚を出す。まるで幼児のおままごとのようであるが、これが結構楽しく、家族団欒の時間となっていた。千恵がキッチンで微笑んでいた。