はじめは「こんな研究が本当に役に立つのだろうか」という不安を抱えながらも先生に従い、手探りの研究がはじまった。
ところが指導を受け始めて3年が過ぎた年の暮れ、憧れだった先生が急逝した。指導者を失った失意と迷いの中、それでも1984年3月、予定通り博士論文をまとめ、工学博士となった。
同年4月、若手の並列処理研究者を求めていたNECと私の希望が一致し、乞われて中央研究所(C&Cシステム研究所)の研究員となった。
配属されて間もなく、翌年発売予定、世界最高速、NECで最初のスーパーコンピュータSX-2用の数学ライブラリの研究開発に携わった。
同時に、企業が研究開発ニーズの宝庫であることを知り、さまざまな事業部から受託研究をもらいながら、自分の頭と探求心で問題を解決していく「企業での研究」の醍醐味に浸る日々を過ごした。
1980年代から1990年代前半、NECは「飛ぶ鳥を落とす勢い」の会社だった。事業の3本柱、「半導体」「通信」「コンピュータ」の売り上げはいずれも世界5位以内、特に1990年前後は「半導体世界第一位」「通信機器世界第二位」「コンピュータ世界第二位」まで上り詰め、NECは名実ともに世界一のハイテク企業だった。
絶好調な業績に後押しされ、研究所は「基礎研究」に力を入れていった。
1991年に「情報基礎研究部」が作られ、私の研究グループもその中に組み込まれた。そして、この研究部に新たに作られたのが「AI基礎」だった。この時代、まだ黎明期のAIと事業の間には大きな隔たりがあった。AIは全くの「基礎研究」だった。
1990年代前半、そんな「AI」を私はただ横目で眺めていた。ところが1997年、研究所長は、全く未知数の「AI基礎」と「バイオインフォマティクス」の二つのグループの担当を私に命じた。
「AI基礎とバイオインフォマティクスの研究を担当する」
そのことが、私の人生だけでなく、NEC自体も変えていく。その後、「AI創薬」「がんワクチン開発」という、おおよそIT企業の事業領域からかけ離れた未知の世界を開拓するきっかけを作っていく。
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