まえがき

日本を代表するIT企業NEC(日本電気株式会社)の研究者だった私は、1997年、黎明期にあったAI研究を担当した。それが出発点となり、「バイオIT」「がん診断支援」「AI創薬」という生命科学の新事業開発の先頭に立ち続けた。

2016年には、AI創薬実証のため創薬ベンチャーを立ち上げ、自ら社長としてがん治療ワクチンの臨床開発を進めた。

それを受けて2019年、NECは会社定款に「医薬品事業」を新たに加え、本格的にAI創薬事業に乗り出した。

本書は、AI創薬研究のはじまりからNECが本格的にAI創薬事業に乗り出すまでの二十有余年に経験した成功や挫折の軌跡を、「NECのミスターバイオ」と呼ばれた当事者自身が綴った回想録である。

それはまた、1899年に電話機製造会社としてスタートした日本を代表するIT企業が、「AI創薬」という生命科学とITが融合する世界的潮流の中心に躍り出るまでの企業の挑戦ドラマでもある。

新事業開発に挑むすべてのビジネスパーソンに本書を捧げたい。

プロローグ~運命の扉

北海道大学機械工学の教授だった父と北海道立女子医学専門学校(現在の札幌医科大学)に入学し医師を志した母の末っ子(姉兄)として生まれた私は、幼いころから学問に対して真摯な親の後ろ姿を見て育った。

同時に、少年時代から好奇心が旺盛で、冒険が大好きだった。16歳になるとすぐに自動二輪の免許をとり、高校二年生の夏休み、ヤマハの125ccのバイクにテントと寝袋を積んで「北海道一周」1600kmの一人旅に出かけた。

高校三年生のとき、受験勉強もそっちのけで「東北一周」1900kmの旅をした。一年間の浪人生活の末父と同じ大学に入ると、十代最後の夏、ヤマハの250ccトレイルバイクにテントと寝袋を積んで、憧れだった「日本一周」の旅に出かけ、日本中を駆け回った。

出発して最初の一週間に二度の交通事故を起こし、不安と断念の文字が脳裏を駆け巡る中、一カ月で8600kmを走破し、無上の喜びを味わった。

当時「暴走族」が全盛の時代。息子を信頼し、バイクで自由に旅することを許してくれた両親には感謝しかない。青春時代の体験が、私の「失敗を恐れずに挑戦する心」を育んだ。

大学生時代、学問の面白さがわかってくると、憧れは研究という「智の冒険」に変わった。大学4年生のとき、「自動制御工学講座」の門を叩き、研究者としての第一歩を踏み出した。

このとき、指導教官だった小山昭一先生からこう言われた。「これからは並列処理の時代だ。君は並列処理の研究をするべきだ」

当時、ようやくマイクロプロセッサが普及しだした時代。安価なマイクロプロセッサを数千台、数万台と並べて計算することで、何十億円もする高価なスーパーコンピュータを超える計算性能を実現する。そんな「並列処理研究」が始まったころだ。